2008.03.29 Sat
山内容堂誕生の地

[ 山内容堂誕生の地 高知/高知市追手筋2丁目 ]
豊信(容堂)の生まれた「山内南家」は石高1,500石の分家で、連枝五家の中での序列は一番下であったがです。
それが如何して藩主の座にちゅう事じゃけんど・・・?
13代藩主・山内豊熈、その弟で14代藩主・山内豊惇が相次いで急死し、その結果、豊信(容堂)が藩主に就いたがです。
幕末、倒幕へと傾いた時代、「坂本龍馬」が唱えた「船中八策」を、時の藩参政「後藤象二郎」は自分の案として「山内容堂」に進言したがです。
「山内容堂」は、こりゃー妙案じゃと思うて、15代将軍「徳川慶喜」に建白し、結果として慶応3年(1867年)、「徳川慶喜」は朝廷に”大政奉還”したがです。
幕末と言う流れ中で、当時の志士達から、「酔えば勤皇、覚めれば佐幕」と揶揄され、酒と詩を愛し、自らを「鯨海酔侯」と称したそうですき。
「時代」が彼を必要としたのかも知れんねー。
[ アクセス ]
・JR高知駅より徒歩約20分、車約5分、
・JR高知駅より市バス・路面電車で高知城前下車、徒歩5分
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使用機材
・CANON EOS-3
・CANON EOS-40D
・CANON G9














