category: 史跡 | 記念碑・その他  1/3

宝永町電停付近 - 高知城下の伊能忠敬緯度観測地点経度33度34分

[ 高知県高知市中宝永町 ]此処は、交差点を挟んで両側に、とさ電交通後免線のホームがあるがですが、写真は西側の「はりまや橋方面行き」のホームのある宝永町電停ながです。住所は、高知市中宝永町附近、昔は下地村と呼ばれちょった附近ながです。下記の書物に、次のような記述があるがです。伊能忠敬側地所宝永町(電車停留場)に在り。(中略)その高知に着せし時は、種崎町辰巳屋(元土佐銀行のありし所)に宿して数日測量し...

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明善学舎跡 - 明治6年に創立、現・高知市立旭小学校の前身

[ 高知県高知市南元町 ]JR旭駅のある旭地区の一角に写真の昭和28年に建てられた「旭校前身 明善学舎跡」の碑が建っちょります。調べて見たら、この場所から0.5Km程西の、とさでん交通(路面電車)「蛍橋」電停近くにある高知市立旭小学校の前身のようです。 写真は、その高知市立旭小学校ながですが、調べて見たら「[PDF] 高知市立旭小学校の歴史」というのがあり、下記のようにありました。ドイツ表現派の校門アールデコより...

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青龍寺国家繁栄碑 - 嘉永7年に起こった安政地震の津波の碑

[ 高知県土佐市宇佐竜・青龍寺  ]此処は、通称、竜のお不動さんと呼ばれちょります、四国八十八ヶ所霊場第36番・青龍寺さん。写真にゃ納まっちょりませんが、もうちょっと下の石段登り口右側に、青龍寺国家繁栄碑と呼ばれる高さが約70~80cm程の文字が刻まれちゅう石があるがです。 苔が生えて文字が読みづらくなっちょりますが、中央に一回り大きな文字で國家繁栄衆力一躰と刻まれちょります。これは、嘉永7年(1854)に起こった...

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北山越えの道碑 - 坂本龍馬や板垣退助らも通った参勤交代北山道

[ 高知県南国市亀岩字落合  ]この碑の建っちょる場所は、以前御紹介した、(伝)明智光秀・明智光春墓のある丘城(瓶岩土居城=土佐坂本城)の直ぐ南側です。明智光秀・明智光春墓 - 土佐に来た明智光春の子孫が先祖供養に 2016-11-08この参勤交代北山道ちゅうのは、大まかに書くと、高知城下~掛川神社前~土佐神社御旅所前~布師田本陣~岡豊八幡宮西鳥居前~領石、そしてこの碑の在る楠木渡瀬(現・楠木橋)から、本山本陣に...

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飛鳥神社の地震碑 - 被害を受けた里人が後世の人々に思いを込めて

[ 高知県香南市香我美町岸本  ]香南市香我美町岸本にある飛鳥神社の北東の隅の玉垣の内側に、飛鳥神社の地震の碑と言う大きな石碑が建っちょります。これは安政元年(1854)に発生し大きな被害をもたらした、安政の大地震(寅の大変)の教訓を後世に残した地震の碑で、表裏全体に刻まれちょります。町指定史跡 安政地震の碑安政元年(1854)の大地震ありさまを書きしるして、人々に地震に備える心構がまえを忠告した碑である。安政...

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サカワヤスデゴケ - 県天然記念物で聖岩周辺に生えていたと言う

[ 高知県高岡郡佐川町岡崎(字泉福寺)・聖神社  ]佐川町を自転車で走りよったら、 「高知県天然記念物 サカワヤスデゴケ」と刻まれた石碑が目に入ったがです。 何じゃろーと思うて、自転車を止め石段を上って行くと、鳥居の扁額にゃ「聖神社」とありました。 拝殿右に見える境内社の背後の石が「磐座」ながでしょうか? 背後の本殿は、風雨を防ぐために周囲を覆っちょりました。偶々、境内社があり何やら背後の岩が「磐座」ら...

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野老山吾吉郎顕彰碑 - 元治元年祇園祭の宵々山に池田屋騒動起こる

[ 高知県安芸郡芸西村和食  ]芸西村役場の北東1Km程の所に憩ヶ丘運動公園がありますが、その直ぐ南に毘沙門の森と呼ばれる、こんもりとした森があるがですが、ここに野老山(ところやま)一族の墓所があり、その奥の方に池田屋事件で負傷し自刃した野老山吾吉郎の顕彰碑が建っちょります。以前に、御紹介しちょりますが野老山吾吉郎の先祖野老山氏(山野辺氏)は伊賀国の人で、6世紀後半に蘇我氏の傍流(後の長宗我部氏)が四国...

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能勢達太郎生誕地碑 - 禁門の変では敗れ天王山で自刃

[ 高知県安芸郡奈半利町  ]田野町から、奈半利川に架かる国道55号線(土佐東街道)の橋を渡ると、右側に奈半利中学校があり、道路の反対側(左側)に奈半利国道出張所があるがですが、その前の道路傍に二つ細長い石碑が建っちょります。右は「土佐日記 那波泊の碑」、左は「能勢達太郎生誕地碑」ながです。「土佐日記 那波泊の碑」は、土佐の国司じゃった紀貫之が書いた『土佐日記』に、京に帰任の途中、ここに立ち寄った事が記...

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中岡慎太郎先祖居住の地碑 - 上倉の庄屋を務める

[ 高知県南国市宍崎・坂本公園  ]国道32号線(高知東道路)を北上し、高知道南国ICを過ぎ、その先で高知道の高架を潜り坂道を登って行くと、バス停「奈路分岐」の近くに坂本公園があるがです。偶々、地図を眺めよって、坂本龍馬先塋の地のある才谷の近くに、坂本公園の名を見たもんで、坂本龍馬と何ぞ関係でもあるがじゃろーかと思い、ただただ名前に引かれて行って来たがです。行った時は時期的に清掃がされてなかったのか、...

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石灰頭司徳右衛門君記念碑 - 南国市稲生の記念碑と粗同じ碑が建つ

[ 高知県室戸市羽根・鑑雄神社境内 ]以前、南国市稲生にある「石灰頭司徳右衛門君記念碑」を御紹介しちょりますが、室戸市羽根の岡村十兵衛さんを祀る鑑雄神社境内にも、同じ「石灰頭司徳右衛門君記念碑」が建てられちょります。どちらも、題字は「海軍大将 永野修身」、撰文も土佐郷土史家「寺石正路」とあり、多少、撰文の記述内容は異なるものの、昭和6年11月に建てられちょります。石灰頭司徳右衛門君記念碑 - 阿波方式の石...

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川谷銀太郎 - 理不尽な堺事件の処置で処刑を免れるが恩赦前に病死

[ 高知県香南市香我美町山北  ]香南市香我美町山北の山北公民館の前の一角に、堺事件の関係者で処刑を助命された川谷銀太郎の碑が建っちょります。この碑は昭和52年(1977)12月に、山北長寿会の皆さんによって建てられちょります。碑の裏面にゃ郷土史家・橋詰延寿先生の詩が刻まれちょります。 名は万代に  橋詰延寿詩明治元年きさらぎの 十と五日のひるさがり土佐藩守備の堺浦 佛兵不法の上陸だ條約無視のこの乱暴 制止も聞...

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観音山の津波の碑 - 安政南海大津波の教訓を伝えるメッセージ

[ 高知県香南市夜須町 ] 九州・熊本地震により被害を受けられました皆さま方には、心からお見舞い申し上げます。また地震により、お亡くなりになられた方々の御冥福を御祈りいたしますとともに、被災された皆さまには謹んでお見舞い申し上げます。被災地の一日も早い復旧・復興を、心より御祈り申し上げます。今回は、土佐も南海地震の危険性が叫ばれちょりますが、地震の激震も怖いけんど長い海岸線を持つ土佐の民への恐怖は、...

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西畑人形発祥之地碑 - 高知市無形民俗文化財

[ 高知県高知市春野西畑 ]春野町西畑の宅老所「デコの里」道路脇に「西畑人形発祥之地」の碑が建っちょります。春野町西畑へは仁淀川左岸沿いの県道14号春野赤岡線が通っちゅうけんど、この碑のある集落へはバスの運行ルートか、春野町森山のくさぎ谷から南の西畑地区に抜けるふなとトンネルを通って来ないと、気が付かんと思います。文化財情報 民俗文化財 西畑人形芝居西畑人形は、明治12(1879)年ごろ、当時の西畑村でつく...

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武政左喜馬 - 土佐勤王党に100番目に加盟

[ 高知県高知市春野町森山 ]高知市春野町の森山公民館前に、写真の頌徳之碑が建っちょります。そこには「大道武政先生」とあり、土佐勤王党に100番目に血盟参加した武政左喜馬の事ながです。武政大道は名で、通称左喜馬と言い、号は守山(しゅざん)別号・護山。守山(しゅざん)は「もりやま」と読めるき、生まれ育った森山(もりやま)から付けた号じゃないかと・・・・・。天保6年(1835)に吾川郡森山村(現・高知市)の養良塾...

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浅川範彦博士顕彰碑 - 日本細菌学会に名を残した土佐人

[ 高知県高知市唐人町 ]高知城の北側にある県庁北庁舎・高知県保健衛生総合庁舎入口脇の駐車場傍に、この「浅川範彦博士顕彰碑」は建てられちょります。碑にも刻まれちょりますが、浅川範彦博士は中江兆民の従弟になります。浅川範彦博士顕彰碑慶応元年土佐秦泉寺生、中江兆民の従弟、明治十六年高知県立医学校卒、上京済生学舎に学び在学一年で内務省医術試験に合格しドイツ語を修得、明治二十二年開業免許を得て帰国、県立高知...

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石灰頭司徳右衛門君記念碑 - 阿波方式の石灰焼きの製造方法を伝授

[ 高知県南国市稲生 ]鉢伏山の南麓、下田川の傍にこの碑は建っちょります。徳右衛門さんちゅう人は、阿波の国の人じゃそうですが、此の方、文化年間(1804~17)に四国巡礼の旅に出たがやけんど、旅の途中に下田で行き倒れになったがやと。現在もこの辺りは良質な石灰を産する地じゃけんど、その時に世話になった地元の人々に、阿波方式の石灰焼きの方法を教えたがじゃそうで、御蔭で土佐じゃ新技術よる石灰製造が多いに発展したが...

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近代水泳競技発祥の地 - 昔、この地の河童がオリンピックで金メダル

[ 高知県高知市唐人町 ]「かるぽーと」の南に、鏡川に架かる雑喉場橋があるけんど、その上流側北詰め(鏡川左岸)に、「めざせオリンピック! 近代水泳競技発祥の地」と言う碑と説明板がある。 めざせ オリンピック! 近代水泳競技発祥の地平成二十年(2008年)二月六日高知商業高校水泳部OB/OG鏡水会高知商業高校高知市役所商友会 近代水泳競技発祥の地ここ雑喉場橋近く,かつて在った突堤(ハネ)の附近は,流れが緩やかで又...

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山崎正善碑 - 明治政府を揺るがしたノルマントン号事故の犠牲者

[ 高知県須崎市南古市町 ]この碑は、須崎八幡宮の道路を挟んで南に建てられちょります。ただ「山崎正善」言うても、誰もしらんろーけんど・・・・・。 始めに海難事故に関して。ノルマントン号事件の碑明治19年10月、横浜発神戸行きの英国汽船ノルマントン号が紀州沖を通過のおり難破した。船長以下26人の外国人船員全員はボートで脱出したが、日本人乗客23人全員が水死した。そのなかに、新土居(現津野町)の山崎正善も乗船していた。...

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土佐国造屋敷 - 古代の土佐を治めた統治屋敷があったとの伝承が残る

[ 高知県高知市・JR旭駅近辺 ]ここは高知市内の西地区、JR旭駅南口前。昔々、7世紀頃の土佐のこの辺りに、都佐国造(とさのくにのみやつこ)屋敷があったと言われちょる場所ながです。国造大化の改新以前における世襲制の地方官。地方の豪族で、朝廷から任命されてその地方を統治した。大化の改新以後は廃止されたが、多くは郡司となってその国の神事もつかさどった。【 参考・引用 】  デジタル大辞泉大化の改新は、飛鳥時...

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宝蔵寺跡の地震碑 - 関東大震災の犠牲者の供養塔

[ 高知県高知市北高見・宝蔵寺跡 ]高知市北高見の宝蔵寺跡の石段の脇に、大きな石碑が建っちょります。表にゃ「南無妙法蓮華経」と題目が刻まれちょりますが、これは関東大震災に関わる石碑です。 写真は、石碑の右面(左側)と後面(右側) 石碑の左側にゃ、下記のように刻まれちょりました。「大正十二年九月一日関東大地震横死者十五萬人霊魂供養塔」正確な人的被害総数とはちょっと違いすぎるけんど、この碑が建てられた頃は...

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山本成之翁碑 - 四国八十八ヶ所第三十番札所・善楽寺の再興に尽力

[ 高知県高知市一宮徳谷  ]JR土佐一宮駅から東に凡そ160m程行った東側の一段高くなっちゅう山側に、御堂と石碑が建っちょります。 何じゃろーと思うて石碑に近づいて見たら「山本成之翁碑」と刻まれちょりますが、当方心当たりがなく、どんな人じゃったのかと思い碑の裏に廻って見たがですが、台石も高く文字もよう読み取れません。そんで、取り合えず写真を取って画像を拡大して見てみたら、碑文の中に「田中光顕」の名があった...

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友綱貞太郎碑 - 力士引退後は年寄6代友綱として多くの力士を育成する

[ 高知県高知市大原町  ]鏡川の右岸にある龍馬スタジアムの南側に、樹木に覆われちょりますが、友綱貞太郎碑と刻まれた”ざまーな”(大きな)石碑が建っちょります。友綱貞太郎と言う名は明治24年(1891)年5月場所を最後に引退し年寄・6代友綱を襲名した後の名前で、現役時代の四股名は「海山貞吉」と言う力士じゃった人ながです。板垣退助の肝入で当初は大阪相撲に在籍し最高位は関脇で、その後東京相撲に移り3たび前頭筆頭まで進...

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和食の向かい地蔵 - 川を渡る龍馬や慎太郎の姿も見たであろう石地蔵

[ 高知県安芸郡芸西村・和食川  ]和食川が太平洋に流れ込む手前の土手の両側にお地蔵さんが鎮座しちょりますが、写真は左岸側のお地蔵さんながです。傍に建つ説明板にゃ、下記のように書かれちょります。街道の向い地蔵昔の和食川には橋がなく、川を渡っている途中で流される人もいた。江戸時代のいつのころか、亡くなった人々の成仏と旅人の安全を願って、お地蔵さまが両岸に向き合う様に建てられた。この二体のお地蔵様は、向...

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土佐日記御崎の泊の碑 - 室戸岬

[ 高知県室戸市室戸岬町・室戸岬  ]室戸岬の乱礁遊歩道の海食台の一角に「土佐日記御崎の泊の碑」が建っちょります。紀貫之が土佐国から都に帰る途中の出来事を綴った『 土佐日記』の 正月19-20日の頃に御崎(室戸岬)に船を泊めた事を記念して建てられたようです。室津を漕ぎだして、室戸岬を回って甲浦の間の何処か停泊したがでしょうが、この碑のある室戸岬周辺に船を泊めたのかについても諸説あるようで、本当の所は判りま...

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高浜虚子の歌碑 - 室戸岬

[  高知県室戸市室戸岬町・室戸岬  ]室戸岬乱礁遊歩道の弘法大師行水の池のある辺りの道路を挟んだ山側に、高浜虚子の句碑が建っちょります。句碑にゃ「龍巻に 添ふて虹立つ 室戸岬」とある。高浜虚子は昭和6年(1931)と昭和24年(1949)の二度土佐に来ちょりますが、室戸を訪れたがは昭和6年の事ながです。 ちょっと気を付けて見んと判らんような場所にあるけんど、探いてみいや・・・・。高浜虚子句碑 - 芸西村 2013-06-04Ma...

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圓龍寺の芭蕉の句碑 - 元は廃仏毀釈で廃寺となった大善寺にあった

[  |高知県須崎市東古市町  ]須崎郵便局の西隣に浄土真宗本願寺派の圓龍寺と言うお寺があるがですが、その入り口脇に3つの句碑が建っちょります。 真ん中にある句碑が説明板にある「芭蕉の句碑」で、天保11年(1840)に建てられちゅうがです。この「芭蕉の句碑」は、元は大善寺と言うお寺にあった物ながです。 上の写真が大善寺址明治の廃仏毀釈の影響を受け廃寺になっちょり、現在は寺跡が残っちょり周囲は墓地になっちょりまして...

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仙台屋桜 - 田岡嶺雲生誕地にも咲く 

[  高知県高知市中須賀  ]牧野博士が、高知の仙台屋という商家の庭に植えられていた桜に「センダイヤザクラ」と命名しちょります。 オオヤマザクラ系の桜で東北地方にあった山桜を移植したものじゃそうです。葉と同時に花をつけ、薄紅色でやや大きめの一重咲きの花を付けます。仙台屋桜・牧野富太郎博士が命名 - 12.04.01 2012-04-02 センダイザクラ(仙台屋桜)の由来昔、仙台から移り住み、中須賀で仙台屋という屋号で商売を...

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北川貞彦と弘瀬重正 - 玉垣に残る二人の自由民権運動家

[  高知県高知市天神町・潮江天満宮  ]潮江天満宮の玉垣に残る、左が北川貞彦、右が弘瀬重正の名前ながです。北川貞彦は安政3年(1856)に四人扶持切符15石の中級土佐藩士の家に生れ、民権家・発陽社社長を務めちょります。発陽社ちゅのは、自由民権運動の中心じゃった「立志社」の傘下に属しちょった民権結社で、潮江にあったがです。立志社跡 - 自由民権運動 2009-03-20立志社の植木枝盛が起草した日本国国憲案は、過激すぎると...

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長宗我部氏岡豊城址之碑 - 題字は田中光顕

[ 高知県南国市岡豊町八幡・岡豊山 ]岡豊城址の本丸下南斜面に、この「長宗我部氏岡豊城址」之碑は建っちょります。 碑の題字は、土佐勤皇党血盟同志で中岡慎太郎と陸援隊で活躍し、維新後は宮内大臣を務めた田中光顕(浜田辰弥)。 碑文は、土佐の郷土史家・寺石正路先生ながです。 石碑は、ざまーなもん(大きい物で)で、国分川を挟んだ対岸からも、よう見えちょります。 岡豊山の東を南北に走る高知東道路の、国分川に架かる...

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第34番札所・種間寺の手水鉢 - 高知市重要文化財

[ 高知県高知市春野町秋山・種間寺 ]第34番札所・種間寺の本堂の縁の傍に、手水鉢と説明板がある。 この手水鉢は、昭和56年に高知県の有形文化財に指定されちゅう「石造 手水鉢」ながです。 手水鉢は本堂の前にあります。直径が55cmほどの小さいものです。上面の水をためるところは1辺19cmの正六角形で、12cmほど掘りこんであります。高さは38cmでしたにいくにつれ次第に細くなっています。現在は石台の上にのせていますが、底...

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紀貫之歌碑 - 承平5年(935)1月11日昼頃羽根崎沖を通過

[  高知県室戸市羽根町乙  ]室戸市から高知市の方に国道55号線を走り、羽根岬を回り少し行った辺りに小さな広場とトイレのある休憩場があるがですが、その一角にこの碑が建っちょり、歌碑には「まことにて名に聞く所 羽根ならば 飛ぶがごとくに 都へもがな」と刻まれちょります。傍の説明板には、下記のようにある。羽根崎と紀貫之歌碑 羽根崎は室戸阿南国定公園の西入口で、小室戸崎と呼ばれ大小の岩礁が美しく磯釣り場でも...

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室戸岬亜熱帯性樹林及び海岸植物群落 - 国指定・天然記念物

[  高知県室戸市室戸岬町  ]写真の室戸岬灯台の上の方に最御崎寺があるけんど、「室戸岬亜熱帯性樹林及び海岸植物群落」と言うのは、写真に写っちゅうように斜面から海岸線にかけて広がり生育しちゅう木々や植物群落全体を指しちょり、国の天然記念物でもあり、室戸阿南海岸国定公園の特別保護区にもなっちょります。室 戸 岬 亜 熱 帯 性 樹 林 及 び 海 岸 植 物 群 落最御崎寺(ほつみさきじ)から海岸にかけての斜面の林は...

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土佐の雪道碑 - 夏場氷室に蓄えた雪(氷)を藩主に献上に通った道

[ 高知県高知市行川・長畝峠  ]高知市内を流れる鏡川上流の宗安寺、川上不動尊の西北に城ケ森と言う山があるがですが、そのチックと南側に長畝峠と言う場所があり、そこにこの「土佐の雪道碑」が建っちょります。 碑の下にある由来には下記のように刻まれ」ちょります。土佐の雪道の由来ここ長畝峠は寺川郷談に書かれている手箱山氷室より領家郷を経て高知城の藩主に献上の雪の道で歴史の道です碑を建て後世に残します平成三年六...

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吉井勇の歌碑 - 祖父や父の知る坂本龍馬の土佐で隠棲生活を送る

[ 高知県室戸市室戸岬町・最御岬寺 ]四国霊場第二十四番札所・最御崎寺の仁王門を出た築地塀沿いに、この歌碑が建っちょります。 石柱にゃ「吉井勇先生 東寺歌碑」と刻まれちょります。御存じの方も多いと思うけんど、間接的に坂本龍馬と関わりがある・・・・・。吉井勇の祖父は薩摩藩士・吉井友実(幸輔)ながです。慶応2年1月23日(1866) 伏見寺田屋で幕府伏見奉行の捕り方が龍馬を捕縛しようと密かに取囲んだのを、風呂場で...

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愛妻之碑 - 大山岬にもある鹿持雅澄が妻・菊子に想いをはせた歌碑

[ 高知県安芸市下山・浜千鳥公園 ]鹿持雅澄の有名な「秋風の福井の里に妹をおきて 安芸の大山 超え勝てぬかも」と詠んだ歌です。この歌を詠んだ鹿持雅澄は万葉歌人で国学者じゃった人で、奥さん菊子さんは武市半平太の叔母さんになりますき、坂本龍馬とも遠縁にもなる関係の人ながです。鹿持雅澄生誕地・邸跡 - 妻は武市半平太の叔母 2010-04-14  愛妻歌碑天保二年(1831)当時41才の鹿持雅澄先生が安芸郡羽根の浦役人として赴...

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「弘法大師杖の跡」と言われた清水・御大師井戸 - 弘法大師伝説

[ 高知県高知市高須本町 ]土佐電鉄の沿線沿いを大津方面に行きよった際、途中、介良通り電停傍にコンビニにがあったき、喉の渇きを癒すため飲料を買い求め外に出てふと見ると、コンビニ駐車スペースの道路側西隅に黒い板状のような物が目に止まったき、チックと近寄って見てみると写真のような碑じゃったがあった。建碑の由来此の清水は「弘法大師杖の跡」と言われ、弘法大師の念力によって湧き出た霊水として古くから人馬の飲料...

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浦戸湾十景 - 五台山下田堤にある八州池の「浮御堂」

[ 高知県高知市五台山 ]場所は、五台山の八州大膳神社の鎮座しちゅう場所の南の八州池の「浮御堂」で、多分この風景が昭和7年に高知新聞社が読者投票により選出した「浦戸湾十景」じゃと思います。 下田堤の上にゃ「浦戸湾十景」の碑が建っちょります。 また鳥居傍にゃ、「記念碑 浦戸湾新十景」と言う碑も建てられちょります。この「浮御堂」は、八州大膳神社 - 八州大膳狸は伊予松山の総帥狸・隠神刑部の客分で記述したように...

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岡御殿 - 藩主の参勤交代や東部巡見の際、宿舎や休憩所に使用

[ 高知県安芸郡田野町 ]この屋敷は、江戸時代の天保15年(1844)に米屋を営みよった豪商・岡家が建てた屋敷ながです。 当時、この田野にゃ米屋・福吉屋・蔦屋・常盤屋・虎屋などの豪商がおり「田野五人衆」と呼ばれちょった豪商で、その中でも最大の豪商じゃったそうで、その財力は藩から要請される多額の御用銀にも、なんなく対応しちょったとか・・・・・。 じゃき、商人と言えども、格式が高かったようで、土佐藩第12代藩主・...

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