category: 史跡 | 史跡・文化財  1/3

庚申堂 - 山田氏と長宗我部氏との戦いで戦死した怨霊を鎮める

[ 高知県香美市土佐山田町秦山町3丁目 ]この辺りは、土佐の戦国時代に山田氏と長宗我部氏が戦い、多くの戦死者の屍が横たわっていたという場所だそうで、その怨霊達の祟りが、野中兼山が鏡野開拓の時に災いとして怪我人や病気になる者が続出したそうです。そこで、怨霊を鎮めるために、摂津国(現・大阪府大阪市)からここに「青面金剛像」を勧請し祀ったそうです。 土佐山田町史跡庚申堂の由来庚申堂は天王寺仏照山と号し、当町...

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遍路道標 - 元文3年(1738)に建てられた南国市史跡の遍路標石

[ 高知県南国市下末松 ]南国市下末松のバス停「へんろ石」の周辺は、昔の遍路道とその道標が残り、その付近の地区は「へんろ石」と呼ばれちょります。バス停の傍にゃ、遍路石とへんろ石饅頭のお店もあるき、御存じの方も多いかと思います。へんろ石 - 1  2009.09.28へんろいし饅頭 2009.05.11 そのバス停「へんろ石」の直んぐにある北側の交差点を用水路沿いに左に40m程行った右側に、この南国市の史跡に指定されちょります遍...

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真乗寺跡 - 南学中興の祖・谷時中が住職だった寺

[ 高知県高知市瀬戸西町二丁目 ]普段、高知市内と長浜・桂浜方面を結ぶ県道34号線・桂浜はりまや線を自転車で通る場合、いっつも東側の歩道を通るがですが、この日は偶々と言うか何かがそうさせたのか、高知市内に戻るのに西側の左車線上を走り寄りよったがです。そいたら、ちらっと眼の隅に何やら石柱のような物が目に入ったもんですき、自転車を歩道に戻し引き返してみたら、写真の碑が建っちょりました。立ってる場所が、左隣...

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谷地の木造金剛力士像と影向の杉 - どちらも県と市の指定文化財

[ 高知県土佐市谷地  ]土佐市北地で国道56号線を右折して高知県道53号土佐佐川線を甲原川沿いに行くと、やがて国道56号線の北側を東西に連なる稜線に続く山道になり、自転車でダラダラと続く山道を約7Km、約40分かけて上り詰めると、周囲が山に囲まれた盆地に出るがです。標高が約200m、東西約2Kmの細長い盆地で、行った時は、丁度、ショウガの収穫の最中でした。集落の西の方に、写真のような杉と建物があるがですが、ここが今...

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宇治谷川一枚大石橋 - 松山街道宇治谷川に架けられちょった巨石

[ 高知県高岡郡佐川町加茂  ]JR土佐加茂駅の南口近くに、海津見神社がありますが、その境内に「宇治谷川一枚大石橋」と言う佐川町指定文化財になっちょる大石があるがです。佐川町指定文化財宇治谷川一枚大石橋 (平成十年一月二十六日指定)(長さ4.00m 幅2.2m 厚さ0.35m 一部欠損)この大石を用いた橋は、江戸時代の終わりごろ、加茂地区を通り高知から松山に通じる松山街道の宇治谷川に架けられていたもので、「一枚岩の...

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土佐国分寺跡 - 天平13年(741)聖武天皇「国分寺建立の詔」発布

[ 高知県南国市国分・国分寺  ]国史跡・土佐国分寺跡は、現在は四国八十八ヶ所霊場・第29番札所 国分寺になっちょります。国分川右岸から、国分寺の森方向を見ると沃野の大地にゃ、秋の恵みが黄金色に実っちょりました。土佐国分寺は、天平13年(741)に聖武天皇が仏教による国家鎮護のために発した「国分寺建立の詔」により全国に建立された国分寺(金光明四天王護国之寺)の一つで、『続日本紀』に天平勝宝8年(756)、土佐を...

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浦戸稲荷神社地震碑 - 安政南海トラフ地震津波を後世に注意喚起

[ 高知県高知市浦戸町・稲荷神社境内 ]以前御紹介しちょります、高知市浦戸町にある稲荷神社の境内の鳥居をくぐってた右奥(道路側)に、朱文字で「文政九年丙戌年八月」銘の入った笠木や實の無い壊れた鳥居の石柱が建っちょります。「文政九年(1826)丙戌年八月」銘は、元・鳥居が奉納された年度です。稲荷神社 - 長宗我部元親が勧請し祀ったと伝わる浦戸の産土神 2015-03-02その、元・鳥居の石柱の裏面には、朱文字で下記のよ...

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鎌田堰跡 - 仁淀川右岸高岡地方の新田開発のために野中兼山が造る

[ 高知県吾川郡いの町鎌田  ]列車で仁淀川鉄橋を西に渡った時、仁淀川右岸の堤防の上に何やら石碑のような物が目に入ったので、後日、その場所に行って見るとやはり石碑じゃったがです。周囲は背丈の高い雑草が生え、石碑も文字が読めなかったがですが、後で調べてみたら野中兼山の造った「鎌田堰跡」の碑じゃったがです。どうやら、写真は碑の裏側で、表に「堰地」と刻まれちょるようです。現在、堰跡を忍ばせるものはこの石碑...

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清岡道之助旧邸 - 野根山二十三志士の首領として決起

[ 高知県安芸郡田野町  ]奈半利川左岸、田野町の北に広がる大野台地と呼ばれる段丘の東端に、文久3年(1863)の八月十八日の政変後、山内容堂は土佐勤王党への弾圧を行い、武市瑞山や土佐勤王党の主要メンバーが投獄されるがですが、武市瑞山の釈放と藩政改革を訴えて決起した野根山二十三士の首領・清岡道之助邸があるがです。 清岡道之助成章は武市瑞山の土佐勤王党に参加、元治元年(1864)瑞山の釈放と藩論の統一を求める嘆願...

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柴尾の一本杉 - 樹齢480年余り、越知町保護天然記念物

[ 高知県高岡郡越知町柴尾  ]越知町中心部から北東に約1.2Km行った柴尾集落の、柳瀬越知線(県道300号)が南に大きくカーブする所にある観音堂傍に、大きな杉の木が立っちょります。丁度、バス停「柴尾」の傍で、周囲は水田で遮るものがありませんき、越知町方面から来ても、伊野町方面からでも、遠くからその姿を見る事ができるがです。 杉の木の根元に「杉尾の一本杉 町保護天然記念物 1987年9月16日」の標柱が建てられちょ...

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高見焼窯跡と陶器の灯篭台 - 灯篭台は明治7年に造られる

[ 高知県香南市赤岡町高見  ]高見焼窯跡と陶器の灯篭台元禄年間より瓦製造から始まり、酒徳利、片口、五郎八茶碗に練瓦、植木鉢と日用品を製造していたが、戦後廃れた。それらの雑器は昨今の民芸ブームの中で、赤岡焼と呼ばれ、その実用的素朴さが好事家の愛好を受けている。明治七年製・金八奉献の陶器の灯明台が立っている。また、ここに耐火煉瓦を積んだ塀があった。【 参考・引用 】 説明板より...

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馬塚 - 平家の追手から夜須に逃れる途中、力尽きた源希義愛馬の塚

[ 高知県南国市岡豊町小篭 ]今回は、前記事の関連になります。源希義が兄・頼朝の挙兵に応じ夜須七郎と謀り土佐で挙兵をしようとしたのを、平家方の蓮池家綱・平田俊遠に知られ、夜須に逃れる途中、年越山の西側で源希義の乗った愛馬が力尽きて倒れたそうです。源希義戦死伝承之地 - 兄・頼朝の挙兵に立ち上がるも平氏に討たれる 2016-07-15 実は、『岡豊村史』の中に、藩政時代の小籠村絵図に馬塚なるものが描かれちょるのを見...

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谷秦山邸跡 - 土佐南学を再興しその学問は垣守、真潮へ受け継ぐ

[ 高知県香美市土佐山田町秦山町  ] 土佐山田町指定 史跡 谷秦山邸跡(昭和三十九年十月二十七日指定)谷秦山が元禄十三年(1700)三十八歳で山田に移り、五十六歳で没するまで十九年間移住し、私塾を開いて講義した邸跡と推定される。中央の碑は昭和十二年に建てられ、三面に秦山作の三編の七行詩が刻まれ、日時計が置かれている。平成三年三月三十日土佐山田町教育委員会【 参考・引用 】  説明板より秦山は号で、名は重遠...

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竜石神社竜の口 - 土岐城を攻めあぐね竜石に戦勝祈願し城を落とす

[ 高知県高岡郡日高村岩目地  ]高知市の方からだと、国道33号線を西に行くと、日高村のJR四国土讃線岡花駅傍の陸橋を南に渡り、更に400m程行った国道の北側に、写真の祠と説明板が建っちょります。竜石神社竜の口日高村史跡文化財(昭和三十五年指定)土岐城を攻めあぐんだ長宗我部元親は、ここで竜の頭をした石を見つけ「天が我が軍の必勝を暗示した奇端である」として、兵を集めて必勝を祈願、土佐一国平定ののちは神として、...

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八幡山跨線橋 - 国指定重要文化財・旧魚梁瀬森林鉄道遺構の一つ

[ 高知県安芸郡田野町  ]場所は田野町八幡の前にある八幡山跨線橋で八幡さんへの参道にもなっちょりますが、昔は、その下を森林鉄道の軌道が通っちょったがでして、旧魚梁瀬森林鉄道遺構田野線の跡として保存されちょるがです。 八幡山跨線橋[建設年] 昭和8年[構造様式] 鉄筋コンクリート造り[所在地] 高知県安芸郡田野町八幡山田野町の八幡神社の参道としてつくられた跨線橋。鉄筋コンクリート造のガ―ダ―橋で、橋桁の長さは6...

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法経堂 2 - 名僧・黙堂大和尚が 「ケチ火」を鎮める

[ 高知県高知市薊野・一宮境辺り  ]ここが、「ケチ火」伝承の残る法経堂跡ながです。 登り切った直ぐ東側の木立の中に、台座を含めて高さが2m以上はある、ざまーな(大きな)宝篋印塔が建っちょります。これが一つ目の法経堂の遺物です。ありゃー、宝篋印塔の最上部の「相輪」と言う棒状の部分が、のう(なく)なっちゅう。どういた(如何した)事じゃろー・・・・・。と思って、周囲を見たら台座の部分になる壇上積みの石段脇に...

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津呂港 - 「野中兼山先生開鑿之室戸港」と「紀貫之朝臣泊舟之碑」

[ 高知県室戸市室戸岬町 ]室戸岬から国道55号線を室戸市方面に約2.5Km程の所に、津呂港(室戸岬漁港)があるがですが、そこの岬屯所前バス停傍に、写真の「野中兼山先生開鑿之室戸港」と「紀貫之朝臣泊舟之碑」と言う2つの碑が建っちょります。 この津呂港も室津港と同様に野中兼山によって、整備された掘り込み港ながです。室津港も大変な工事じゃったようですが、ここも同様に難工事じゃったがです。昔は、この辺りは良好の港...

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にらみ石 - 薫的和尚と野中兼山に関わる孕石頼母邸にあった庭石

[ 高知県高知市洞ヶ島町・薫的神社 ]薫的神社の一角に、にらみ石と言う石があるがですが、この石は薫的和尚を奉行じゃった孕石頼母ら藩の重役が無実の罪をきせ投獄し、薫的和尚は悲憤怨恨の果てに自害するがですが、その罪を着せた奉行・孕石頼母邸にあった石だそうです。壮 絶 ! 薫 的 和 尚 の 論 争 (家老・孕石頼母邸にあった庭石)正徳4年(1714)6月25日孕石頼母は突如乱心し庭石を指して「石の上に緋の衣の坊主が現れ、わ...

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史跡・山田堰遺構 - 香長平野を潤し、舟入川の流れは流通に貢献

[ 高知県香美市土佐山田町小田島 ]寛永16年(1639)土佐藩家老・野中兼山が物部川に造った山田堰の遺構で、上流に新しい堰が造られるまでの凡そ340年余り、土佐の香長平野に豊かな水の恵みを潤しちょりました。現在は、遺構の一部を保存して緑地公園となっちょります。また、物部川右岸の堤西側には山田堰記念公園が造られ、現在、山田堰遺構は県史跡に指定されちょります。 山田堰 (「県指定史跡)神母ノ木から小田島にかけ...

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谷干城別荘跡 - 北山の三谷集落で晩年を過ごした別荘跡

[ 高知県高知市三谷 ]写真は月ノ瀬橋から高知市の北側を見た写真ながですが、東西に連なる山並みを高知じゃ通称・北山と呼んじょります。その頂上の山並みの一角に別荘地帯か何かのように集落が見えちょりますが、今回の記事の目的の場所は、此処より下に約50m程下がった三谷の集落ながです。 此処三谷の集落にゃ、土佐西国第三番札所・三谷観音があるがですが、その話はまた別の機会にして、今回は坂本龍馬が暗殺された後、暗殺...

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紀貫之舟出の地碑 - 土佐で亡くした娘の死を悲しみながらの船出

[ 高知県高知市大津・大津小学校校門傍 ]【原文】二十七日。大津より浦戸をさして漕ぎ出づ。かくあるうちに、京にて生まれたりし女子、国にてにはかに失せにしかば、 このごろの出で立ちいそぎを見れど、何ごとも言はず、京へ帰るに女子のなきのみぞ、悲しび恋ふる。ある人々もえ堪へず。この間に、ある人の書きて出だせる歌、 都へと思ふをものの悲しきは帰らぬ人のあればなりけりまた、あるときには、あるものと忘れつつなほな...

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正福寺跡 - 香宗我部氏が寺領三十石を寄進し堂寺も建てる

[ 高知県香南市赤岡町・赤岡小学校 ]赤岡小学校の正門脇に、正福寺跡と言う説明板が建っちょります。正福寺跡正福寺は真言宗萩原山教憧院与楽寺の末寺で与楽寺に次ぐ大きな寺院であった。開基、来歴等明らかではないが、本尊は聖観音で境内には薬師仏、弘法大師、庚申を祀る別堂があった。昔、香宗我部氏より寺領三十石寄進、堂寺も建立された。・・・・・【 参考・引用 】  説明板より抜粋此の寺も明治の廃仏毀釈で廃寺とな...

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坂本龍馬誕生地 - 龍馬を敬愛する金子直吉が母・タミのために買取る

[ 高知県高知市上町  ]此処は上町1丁目の「坂本龍馬誕生地」の碑を写した写真じゃけんど、今回は龍馬の話じゃのうて(なくて)、この写真に写る上町病院と右側の金子陶器店周辺の坂本家の屋敷跡は、鈴木商店の「大番頭」として手腕を発揮し三井財閥・住友財閥・三菱財閥をもしのぐ規模の総合商社へと導き、財界のナポレオンとも言われた金子直吉が、母・タミのために龍馬の生家を買い取って、母や弟の楠馬に住まわせた場所でもあ...

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蟹ヶ池 - 池の主は畳四畳半も六畳もある大きな蟹じゃとか・・・・

[ 高知県土佐市宇佐町竜  ]四国霊場第36番札所・青龍寺の参道脇に、蟹ヶ池と呼ばれ湿地がある。現在は水面面積もこんもうに(小さく)なっちょりますが、昭和40年頃までは東西約150m、南北に約80m程もある池じゃったそうです。この池にゃ名前の如く、蟹伝説が残っちょります。龍の池(蟹が池物語)青龍寺の東に大きな池があり蓮が生え繁っていた。この池は昔、青龍寺が出来た時に、八人の天女が天降り一夜に掘ったという。七葉(...

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寳永津浪溺死之塚 - 碑文は古屋竹原、願主は発生寺住職・智隆和尚

[ 高知県須崎市糺町  ]以前にも御紹介しちょりますが、安政3年(1856)に、寳永(宝永)4年(1707)に起こった大地震の津波によって亡くなった400名あまりの人の150回忌の回葬をした際に建てられた「寶永津浪溺死之塚」ながです。寳永津浪溺死の塚 2010-03-15150回忌の法要を行ったがは発生寺の住職・智隆和尚で、碑文を書いたがは儒医・画家じゃった古屋竹原(尉助)と言う人ながです。 発生寺� (浄土宗)高知県須崎市:発生寺の智...

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「安政大地震」と「南海地震」の津波汐位碑 - 宇佐の真覚寺

[ 高知県土佐市宇佐町・真覚寺 ]つい2日前の7月13日未明の02時56分、 大分県南部を震源とする最大震度5強(マグニチュード5.7)の地震があり震源に近い西部の宿毛市で震度4、中部の高知市内でも震度3の揺れがあったがです。近い将来に南海トラフで発生する確率が大きゅうになっちゅう巨大地震の恐怖もありますき、さぞビックリした人も多かったですろー。今回は、震源が日向灘や土佐湾沖じゃなかったき安堵したけんど、特に海岸...

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有井城 - 土佐南朝方・有井又三郎居城

[ 高知県安芸市伊尾木  ]土佐の南北朝時代、南朝方の武将としてこの地を治めちょった有井又三郎の居城があるのが、伊尾木洞の入口のある東側の丘陵地帯ながです。伊尾木洞 - シダ群落は国指定天然記念物 2015-06-01有井城と言い、別名・元尾城と言う。日本歴史地名大系『高知県の地名』に、西明寺をはじめ金剛頂寺の住職を兼帯した浄宝筆と言われる『西明寺』文書(年不詳)に、後醍醐天皇に忠誠を尽くした南朝方の武将・楠木正...

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ドレー機不時着の地 - フランス人飛行家、東京~パリ飛行中に不時着

 [ 高知県高知市春野町東諸木  ]桂浜から宇佐の方に海岸線を東西に走る黒潮ライン(通称・桂浜花街道)の東諸木と長浜の境辺り、山側のちょっと奥まった場所に「ドレー機不時着の地」と言う碑が建っちょります。 ドレー機不時着の地1937(昭和12年)東京 パリ間 百時間懸賞飛行に挑戦したフランス人飛行家マルセル・ドレー氏 フランソワ・ミケレッチ氏の飛行機は 幾多の困難に会いながらも上海を飛び立ち東京へ向け最後の...

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妙国寺梵鐘 - 梵鐘は保護有形文化財で、寺は細川氏の菩提寺が前身

[ 高知県高知市塩屋崎町・妙国寺  ]高知市の筆山の東麓、土佐道路・筆山トンネル入り口のある交差点の北側に妙国寺と言うお寺があるがです。 此処にある、梵鐘が今回の記事ながです。 高知県保護有形文化財 妙国寺梵鐘以下は、高知市のホームページの方に詳しゅう記されちょりますき、そちらを引用させてもらいます。鋳銅製にして総高1m、笠形は重ね餅形に盛り上り、その上に龍頭がつく。龍頭の高さ18.3cm、笠形の高さ4.8cm...

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浄貞寺山門 - 江戸時代中期に再建された安芸市文化財

[ 高知県安芸市西浜 ]ここは、長宗我部軍と戦い敗れた安芸国虎を始め安芸氏の菩提寺としてしられちゅう浄貞寺ながです。安芸城 - 土佐の七守護の一人、安芸国虎の居城 2011-09-08 寺の説明板によると、南国市比江にあるの末寺じゃそうです。乾の大墓 - 乾氏一族の墓所 2009-12-04永源寺 - 土佐藩家老・乾氏の菩提寺 2009-12-03 明応年間と言うき、1492年から1501年の室町時代じゃけんど、安芸国虎の祖父・備後守元親が創立し...

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行当の切抜 - 野中兼山の遺跡の一つ

[ 高知県高知市春野町弘岡上行当 ]此処が、野中兼山の遺跡の一つ「行当の切抜」ながですが、石碑も道路から一段高い場所にあり、車じゃったら多分気が付かんじゃろう。野中兼山が、仁淀川に八田堰を造り、そこから引いた水はこの行当(ゆきとう)の切抜を通り、春野の大地に約16kmの幹線井筋が流れ、更に諸木から唐音の切抜を抜けて、浦戸湾にも注ぐ難工事をしちょります。お蔭で、今日の春野は「土佐のデンマーク」とも呼ばれる...

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梅香の井戸 - 室津泊りの時、紀貫之が命名したと伝わる

[  高知県室戸市室戸市室津  ]現在の室戸港(昔の室津港とされちゅう)の東端に、「梅香の井戸 (まいごの井戸)」と呼ばれ、紀貫之所縁と伝わっちゅう井戸があるがです。説明板にゃ、下記のように書かれちょります。梅香の井戸 (まいごの井戸)土佐日記を著した、紀貫之朝臣は土佐国司の任を終え、承平4年(934)12月27日、土佐国府(現・南国市)を立ち、帰郷(京の都)の途についた。暴風雨を避ける為に、翌1月12日より風待...

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真覚寺 - 安政の大地震の記録を綴った『真覚寺日記』で有名

[ 高知県土佐市宇佐 ]ここ真覚寺は、土佐市宇佐の山の麓にある浄土真宗の宗派の1つになる、真宗大谷派のお寺さんです。と書いただけじゃ、ただのお寺さんじゃけんど、土佐だけじゃのうて知っちゅう人は知っちゅうと言う、有名なお寺さんんがです。幕末の頃の話じゃけんど、この寺の八代目の住職じゃった井上静照と言う人が、俗世間の出来事や噂話などを安政元年(1854)から明治元年(1868)まで綴った『真覚寺日記』が残っちょるが...

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昭和九年海嘯襲来地點の碑 - 海から「海嘯」と言う恐怖が襲って来た

[ 高知県室戸市室戸岬町 ]四国霊場第24番札所・最御崎寺から室戸スカイラインを下り、第25番札所・津照寺に向かってバス道(遍路道)を 歩きよったら、数か所に「昭和九年海嘯襲来地點(点)」と刻まれた石碑が建つっちょりました。写真は3枚しか掲載しちょりませんが、確認したのは4ヶ所あった(探いたらまだ他にもあるかも知れませんが・・・・・) 。室戸岬町の東の方から山田邸東隅(上の写真)。その山田邸と言うがは、昭...

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寺田利正・寅彦奉納の燈篭と石橋 - 小津神社

[ 高知県高知市幸町・小津神社境内 ]場所は高知市の小津神社。小津神社 - 此処も神紋は三本足の八咫烏(やたがらす) 2013-10-21灯籠にゃ明治25年6月と刻まれちょります。 明治24年、寺田寅彦13歳の時、肺尖カタルを患い、父・利正が病気平癒と県立尋常中学校への入学祈願の御願ほどきに建てた灯籠のようです。 また、社殿手前にも、寺田利正・寅彦親子の奉納した石橋があります。 貴船神社 - 種崎に鎮座し寺田寅彦の随筆『高知...

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竹林寺庭園 - 土佐三名園

小書院前庭[ 高知県高知市五台山・五台山竹林寺 ]四国八十八ヶ所霊場第31番札所の竹林寺。その客殿・書院の周囲にある庭園は、佐川町の清源寺庭園 、乗台寺庭園・ひさご園と共に、土佐三名園の一つで、平成16年にゃ国名勝の指定をうけちょります。乗台寺庭園・ひさご園 - 土佐三名園 2010-10-30 清源寺庭園 - 土佐三名園 2010-09-28 客殿前庭庭園が造られたのは 江戸時代初期の延宝~貞享(1673~88)の間に築造されたと推定さ...

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安政地震・津波の碑 - 津波の被害を後世に伝える貴重な石碑

[ 高知県土佐市宇佐町萩谷 ]土佐市指定文化財(史跡) 安政地震・津波の碑この碑は、宝永4年(1707)に発生した地震及び安政元年(1854)に発生した安政地震に伴う津波による犠牲者の追善と被害の教訓を後世に伝えるため安政5年(1858)に地元の衆議により潮先に近いこの地に建立されたもので、碑の前面には当時の状況が詳細に刻まれている。後世発生した南海地震の際には、この教訓が生かされ、津波による死者が僅か1名のみであり...

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北添佶磨記念碑 - 新撰組に襲われ池田屋騒動で散る

[ 高知県高岡郡日高村岩目地 ]日高村の国道33号線沿いに、此の地の庄屋の跡目を継ぎ、土佐勤王党にも117番目に血盟同志と成った北添佶磨の記念碑が傍に植えられた木々に隠れるように建っちょります。幕末の尊王攘夷と言う熱い激流の渦の中に、妻と離別までして飲み込まれて行った。文久3年(1863)坂本龍馬の説く北海道防備開拓に同調し能勢達太郎・小松小太郎・安岡斧太郎らと蝦夷地探査に赴くが、小松小太郎は旅の途中病にかか...

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