category: 見る | 土佐藩山内家   1/1

山内規重蟄居屋敷跡と殿様釣井 - 10年間蟄居を命ぜられた地

[ 高知県香南市香我美町山北  ] 香南市指定文化財 山内規重蟄居屋敷跡 土佐藩の家老山内主馬規重が、深尾家と孕石家の縁談のもつれに介入し、六代藩主豊隆公の考えに反するものとして禄を奪われ、正徳元年(1711)十二月二十六日に山北安弘の里に蟄居を命ぜられてから享保五年(1720)八月、許されて家老職に復するまで十年間、苦境の時代をすごした場所である。昭和五十三年四月一日指定 香我美町教育委員会【 参考・引用 】 ...

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山内家御墓道 - 筆山は山内家の墓所のある場所

[ 高知県高知市・筆山 ]昨年暮れ、歴史写真家・前田秀徳>氏に同行して筆山を"たつくった"時、「○○と言う碑があるが見たいか?」と聞かれ、「見たい」と答えたら、「よっしゃ!」と言って御案内いただいたのが写真の石柱ながです。藪の中にあった石柱は高さが約1.5m程で、長年風雨に晒され表面の文字は読みづらくなっちょりましたが、「山内家御墓道」と刻まれちょりました。筆山は、藩祖・山内一豊を始め歴代藩主の墓所になっち...

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白黒一文字紋 - 土佐・山内家の裏家紋

[ 高知県高知市鷹匠町 ]土佐・山内家の裏家紋のお話を・・・・・。場所は旧山内家下屋敷長屋の屋根瓦に、写真のように右に本紋の「三つ柏紋」、その上にひと回り大きい裏家紋の「白黒一文字紋」と呼ばれる家紋が乗っかっちょりますが、本紋よりも裏紋の方がメインのようにも見えるねー。えっ、何処が「白黒」じゃと言われそうじゃけんど、瓦じゃき当然「黒」一色じゃけんど、「白黒一文字紋」を図案化すると下記のようになるがで...

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深尾神社 - 佐川・深尾氏一族の霊を祀る

[ 高知県高岡郡佐川町甲 ]この神社は、由緒書にもあるように佐川・深尾氏の初代・深尾重良と奥方、二代・深尾重昌と奥方、以下歴代の霊を祀るとあり、山内神社(藤波神社)のような実在の人物を祀った一族のための神社です。佐川・深尾氏累代の墓所 2010.09.29MapFan地図へ...

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藤並神社社格標 - 昔、此処に神社があった

[ 高知県高知市丸の内 ]今は無いけんど、高知城追手門の東側の県立文学館と県立図書館への入口脇に縣社・藤波神社と刻まれた社格標が残っちゅう。明治4年(1871)まで此処にあった、初代藩主・山内一豊と夫人・見性院(千代)、2代藩主・山内忠義を祀っちょった神社ながです。その地が神社になる前の元の住人は、野中兼山・・・・・。野中兼山邸跡の碑 - 本来の跡地に建てられちゃーせん理由は 2009.11.20 今となっては、此処に...

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山内規重 - 土佐藩第8代藩主・山内豊敷の父

[ 高知県高知市五台山 ]山内規重(やまうち のりしげ)は天和2年(1682)に、佐川・深尾家に生まれちょります。佐川・深尾家初代で土佐藩家老じゃった深尾重良の5代後の子孫ながです。子孫と言うても深尾氏の直系でもないし、佐川・深尾家の分家の一つ・・・・・。佐川・深尾氏累代の墓所 2010.09.29初代・深尾重良にゃ子が無く、後に深尾重忠と言う、深尾新六重三の子が養子となっちょった。義父・深尾重良は、山内一豊が土佐...

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山内一豊墓

[ 高知県高知市天神町筆山 ]土佐藩初代藩主・山内一豊の墓ながです。現在は、残念ながら一般見学は出来んようですき。MapFan地図へ...

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佐川・深尾氏累代の墓所

左が佐川の初代・深尾和泉重良と、右が室の墓碑左:墓所登り口                       右:上からの眺め[ 高知県高岡郡佐川町甲上町 ]此処は、清源寺にある、土佐藩佐川領主・深尾氏累代の墓所です。比較的、綺麗に手入れされちょりますねー。土佐・深尾氏の初代は深尾重良で、先祖は近江とか・・・。深尾重良の祖父・重列が足利家に仕え戦功により美濃太郎丸城を与えられ、重良はその跡を継いで太郎丸城...

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山内豊福 - 土佐藩と徳川幕府との板挟みで苦悩した悲劇の殿さん

[ 高知県高知市旭天神町・水道山 ]坂本龍馬の実家の墓所がある丹中山のちょっと西(直線距離で約900m)に、高知市の旭浄水場があるけんど、その裏の水道山の一角にポツンと取り残されたような、2m近い立派な墓碑が建っちょります。墓碑にゃ「陽国陰英巌義忠」と刻まれちょりますが、名は山内豊福と言う人ながです。山内豊福と言う人は、筑前秋月藩第10代藩主・黒田長元の2男で、高知新田藩第4代藩主・山内豊賢の養子に...

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山内一豊像 - 孤独に佇む

[ 高知県高知市丸の内 ]この像は、長宗我部氏に取って代わって土佐24万石の領主になれた、山内一豊の像なが。現在は、観光客もあんまり気が付かんような、高知城外に再建されちゅう。初代の像は、元は二の丸の国旗掲揚台の近くにあったがですが、太平洋戦争の時、金属回収のため撤去されたと。因みに、金属回収されんかった像は坂本龍馬だけで、山内容堂・板垣退助・片岡健吉像も撤去され、鉄砲の弾かなんぞに溶かされたがです...

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土居廊中・武家屋敷

[ 高知県安芸市土居 ]安芸は、山内一豊に付き従って来た五藤氏の居城があった所で、城の周辺に家臣の屋敷があった場所を土居廊中とゆうが。何で「土居廊中」とゆうかゆうたら「土居」とは小城下町の領主の住んじょった場所の事、「廊中」とは家臣達の武家屋敷を指すが。藩主・山内がおった「高知城城下」に対して、家臣の五藤氏が領地を拝領して治めちょった安芸の中心地とゆう意味ながやき。武家屋敷のある場所は、正確にゃ「安...

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壽性院(寿性院) - 山内家二代目藩主・忠義の側室

[ 高知県高知市三ノ丸 ]此の墓石のある場所は、才谷家の新墓所のある三の丸です。偶々、才谷家の新墓所を見に行った時、その上の方にあった大きな墓石に気がついて、誰のお墓じゃろうと思うて見たがです。様見たら、立派な墓で、花立に山内家の三つ葉柏の紋が入っちょりました。墓碑には、次ぎように刻まれちょりました。壽性院(寿性院)山内家二代目藩主・忠義の側室忠義の次女・佐与姫の生母で、側室になって三の丸の住んじょ...

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五藤家屋敷 - 土佐藩家老

[ 高知県高知市本町4丁目 ]高知城追手門南側のお堀の近くに、土佐藩家老・五藤家屋敷の正門が今も残っちょります。山内一豊が土佐入国をした際には、山内家の家老となった五藤為重が、安芸土居を与えられて周辺を支配し、幕末まで代々山内氏の家老を勤めちゅうがです。[ アクセス ]・土佐電鉄・高知城前下車、直ぐ...

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山内家墓所

[ 筆山登山口の東隣にある山内家墓所入口 ][ 普段は鍵が架けられ入れんがです ][ 鉄柵の間から見た墓所内。最上部が山内一豊の墓所 ][ 高知県高知市筆山町 ]此処には山内一豊の妻・千代(見性院)の墓はないがですき。見性院は夫・一豊が慶長10年(1605年)に亡くなると、一豊の弟・康豊の子・忠義を土佐山内家跡目養子にして半年後に、さっさと土佐を離れ京都に移り住んで余生を過ごしちゅうがです。土佐に居たくなかっ...

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土居廊中 - 山内氏重臣・五藤氏の支配地

[ 高知県安芸市土居 ]土居廊中は、安芸市に残る藩政時代の武家屋敷で、静かな佇まいの中に五島氏の家臣たちの家並みが残っちょります。この五藤氏は、山内氏が土佐一国を与えられると、重臣の五藤為重に1,100石を与えこの安喜郡周辺に配し、「土居」と称し、幕末まで代々・山内氏の家老を勤めちょるがです。[ アクセス ] ・土佐くろしお鉄道 安芸駅から車で6~7分 安芸は、駅構内のレンタルサイクルを借りて散策するのが...

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真如寺 - 山内家菩提寺

[ 高知県高知市天神町 ]山内一豊が土佐入国後、掛川にある真如寺の初代住職じゃった在川和尚と言う人が土佐を訪れた際、掛川の真如寺を弟子の巨山聚鯨和尚に託して、慶長7年(1602)にこの真如寺を建立したそうながです。それ以降、この真如寺が山内家の菩提寺となっちゅうがじゃと。在川和尚と言う人は、山内一豊の相談役的な存在じゃったそうながです。[ アクセス ]・はりまや橋から、土佐電鉄「大橋通り」電停下車、徒歩約...

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旧山内容堂邸跡 - 散田屋敷

[ 高知県高知市鷹匠町2丁目 ]現在の鷹匠公園一帯及びその西側が、山内容堂邸(通称、散田屋敷)じゃったがです。NHk大河「龍馬伝」第5回の最後の方しかよう見んかったけんど、書くべきか書かざるべきか迷った行があったがです。場面は山内容堂が吉田東洋を起用する場面。史実だと、吉田東洋が山内容堂に起用されたがは嘉永6年(1853)の事で、山内容堂に提出した「北条泰時論」が高い評価を受け、大目付に任命されるがです。吉...

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山内容堂誕生地碑

[ 高知県高知市追手筋2丁目 ]土佐藩15代藩主・山内豊信で、隠居してから名乗った号「容堂」の方が通り名になっちゅうがです。12代藩主・山内豊資の弟・豊著の子で、ようは分家の子で母は妾で大工・平石氏の娘じゃったき、平民の血が流れちゅうがです。本来は藩主の座に付ける身分じゃなかったけんど、如何言う訳か、たなぼた式に転がって来たのが藩主の座じゃったがです。本人の生い立ちから考えたら、もっと下の身分の気持...

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土佐山内家宝物資料館

[ 高知県高知市鷹匠町 ]「維新の群像展」が今月25日までじゃったき、初めて入ったがです。「幕末志士遺墨」には、平井収二郎や島村健吉、武市瑞山の獄中での書簡等、山内家が収集した志士らの書簡21通が巻物に仕立てられた物も展示されちょりました。坂本龍馬関連では、肖像画の掛け軸があっただけ。旧土佐藩主山内家に伝来した歴史資料・美術工芸品を所蔵しちょり、展示内容は約2ヶ月毎に変わるそうなが。[ アクセス ]・...

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山内大膳亮邸跡 - 大膳町の由来

[ 高知県高知市大膳町 ] かって此処には元・土佐中村藩三万石の最後の領主じゃった「山内大膳亮」の居宅があったがでして、そんで此処を「大膳様町」と呼びよったと。それが今でも、「大膳町」と言う地名で残っちゅうがです。平成の大合併でこうした何がしかの歴史に由来するような「地名」が、全国レベルで”こじゃんと”のうなった。人間が子孫を残していく最大の役目は「DNA」を受け継ぐ事じゃないかと、どっかで見聞きした...

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山内神社

[ 高知県高知市鷹匠町2丁目 ] 神社言うても、明治維新後に、当時の国体に功績を挙げた人物を祀る神社として造られた「別格官幣社」の制度に分類される神社なが。「靖国神社」は護国の英霊、「上杉神社」は上杉謙信、「東照宮(日光東照宮)」は徳川家康他、「豊国神社」は豊臣秀吉、「湊川神社」は楠木正成、「照国神社」は島津斉彬と言うように、「山内神社」もまた土佐藩歴代藩主を祀る神社として昭和9年(1935年)に造られ...

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旧山内家下屋敷長屋展示館

[ 旧山内家下屋敷長屋展示館  高知市/鷹匠町1丁目 ]旧山内家下屋敷長屋は通称「散田屋敷」と言い、旧山内家下屋敷長屋展示館として一般公開されており、国の重要文化財に指定されちゅうがです。幕末の元治元年(1866年)に建設された土佐藩主山内家15代目「山内容堂」の別邸下屋敷(南御屋敷)の東隣の武家屋敷7軒を召し上げて建設された武家長屋で、屋敷の警護に就く多数の武士が宿泊するために建設されたものとされる。...

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山内一豊の妻の銅像

一豊の妻が金十枚で名馬「大田黒」を買ったという内助の功を再現した銅像ぜよ。馬と「内助の功」の噂は信長や秀吉にまで届き、出世の第一歩となった「功名」のエピソードじゃ。高知城・杉の段に建っちよります。[ アクセス ]・JR高知駅より徒歩約20分、車約5分、・JR高知駅より市バス・路面電車で高知城前下車、徒歩5分...

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山内一豊の銅像

1913年に造られちょったけんど、太平洋戦争中には、軍需(戦争中金属類の不足のため、鉄砲や弾丸などの材料にするため、金属が供出された)で、無くなっちょった。1996年に、原型になった一豊像が山内家に残っちょったきに、造り直した2代目じゃ。大追門入り口手前、右側にある。[ アクセス ]・JR高知駅より徒歩約20分、車約5分、・JR高知駅より市バス・路面電車で高知城前下車、徒歩5分...

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安芸城跡

[ 安芸城跡お堀 ]1308年に安芸国虎が築城し、長宗我部氏の攻撃に敗れ、城は炎上した。その後、山内一豊が土佐に入った時、家老の五藤氏が居を構えたが。[ 歴史民族資料館 ]五藤家に伝わる武具・甲冑をはじめ、安芸市の文化遺産等を展示しちゅう。[ アクセス ] ・土佐くろしお鉄道 安芸駅から車で6~7分...

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土居廊中(武家屋敷)近辺

[ 土居廊中(武家屋敷)近辺 ]土佐藩の家老じゃった五藤氏が安芸城跡に屋敷を構えた時、家臣達も屋敷を構え武家屋敷町を形成したがじゃ。写真はその近辺の白壁のある町並みやか。[ アクセス ] ・土佐くろしお鉄道 安芸駅から車で6~7分...

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山内神社

[ 東参道 ]東参道の入り口は鷹匠公園に面しちゅう。[ 社殿 ]1975年に社殿を再建して、藩祖一豊公同夫人以下歴代藩主を合祀した。[ 亀石 ]由来は判らん!!けんど、形はカメじゃ・・・頭もあるし、甲羅もそれらしゅう見えるねー。[ アクセス ]・土佐電鉄(路面電車) 県庁前電停より徒歩5分・「はりまや橋」よりタクシーで5~10分...

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