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南国土佐へ来てみいや

石田英吉顕彰碑 - 除幕式で祝辞を述べたのは高松順蔵の甥・高松清節

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[ 高知県安芸郡i安田町・北寺 ]安田町の北寺境内に、写真の石田英吉顕彰碑が建っちょります。 北寺 - 高知県の重要文化財(彫刻)の約1割が此処に安置 2017-09-18坂本龍馬と共に、海援隊で活躍した石田英吉。生まれがこの近くですき、此処に顕彰碑が建てられたがでしょう。石田英吉邸 - 坂本龍馬と亀山社中や海援隊で活躍した海援隊隊士 2014-09-05天誅組に加わり大和挙兵したり、禁門の変で敗れ三条実美らの「七卿落ち」に同...

大石甚吉邸跡 - 堺事件の責めを負わされ4番目に切腹、兄は大石正巳

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[ 高知県高知市五台山 ]慶応4年(1868)2月15日に起きた泉州堺事件で切腹させられた土佐藩士11名は、外交政策にも無知で横暴極まりない幕府が下した理不尽な処罰の犠牲者とも言える。その一人が、大石甚吉さん。大石甚吉 - 堺事件・四番目に切腹 2015.02.06烈士殉難碑 - 堺事件関係者 2011.02.22 土佐のお墓は、以前ご紹介しちょりますが、今回は邸跡を探してみたがです。 『五臺山誌』 に、下記のような記述がある。大石甚...

荒尾幾久弥祐正 - 戊辰戦争鼠ヶ関戦で負傷し帰国も、土佐で亡くなる

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[ 高知県高知市 ]墓碑にゃ、下記のようにある。明治元年會津役起取道於北陸至越後戦中濱中銃治療敷月創未癒同二年五月〇家同年九月廿七日終為落命享年二五今の山形県と新潟県の日本海に近い県境で、北国街道と羽州浜街道の境になる、鼠ヶ関の戦いで負傷したようです。慶応4年8月23日、長岡城が落ちると新政府軍は北上し、8月23日鼠ヶ関で庄内藩との攻防が始まるがです。そして、9月1日新政府軍は鼠ヶ関に総攻撃をかけちょります...

二川元助重遠 - 戊辰戦争・迅衝隊十番隊長、長女は寺田寅彦の妻

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[ 東京都港区南青山・青山霊園 ]二川元助重遠は、弘化3年(1847)高知城下中島町は土佐藩馬廻役300石・二川周五郎の長男に生まれ、維新後に改名し阪井重季と名乗っちょります。幕末、土佐藩兵小隊長となり上京し、乾退助(板垣退助)を助け討幕に奔走し、藩命に反し山田喜久馬(平左衛門)・山地忠七(元治)・吉松速之助(秀枝)等と伏見に土佐藩の小隊を率い倒幕に立ち上がるがです。山田平左衛門 - 土佐での始祖は山田去暦、その...

森本磯衛 - 戊辰戦争に迅衝隊・砲隊士として従軍し白川で病死

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[ 高知県高知市 ]戊辰戦争・会津戦に東山道御親征先鋒総督軍(土佐藩)の主力部隊・迅衝隊の砲隊士として従軍しちょりますが、明治元年10月5日に白河駅で病死し、福島県白河市の長寿院に眠っちょります。長寿院西軍墓地 2 - 故郷遠き白河に眠る土佐藩兵18名 2016.06.29 このお墓は、遺髪墓ながです。明治記元 戊辰四月 奥州出陣 同十月五日 開戦節於白川陣病死 同処葬 長寿院 以遺髪招魂 行年二十歳明治元年の戊辰の年の...

川原塚茂太郎 - 坂本龍馬の義兄で土佐勤王党には11番目に加盟

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[ 高知県高知市 ]ブログ再開の最初の記事は、やはり坂本龍馬に関わりのある義兄・川原塚茂太郎ですき。川原塚茂太郎(かわらづか もたろう)は、文政13年(1830)に高知城下南奉公人町(現・高知市)の土佐藩徒歩格・川原塚重喜の子として生まれ、名は重幸と言うがです。前述で記した義兄と言うのは、坂本龍馬の兄・権平さんの妻・千野さんの弟になるからながです。川原塚茂太郎は、文久元年(1861)に武市瑞山が江戸留学中に土佐勤...

池知退蔵 - 土佐勤王党に178番目に加盟

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[ 高知県南国市上末松 ]池知退蔵(いけぢ たいぞう)は天保2年(1831)、長岡郡西野地村(現・南国市)の郷士の家に生まれ、名を重利(初名・重胤)、通称・退蔵と云う。嘉永4年(1851)、家督を相続。文久3年(1863)2月、土佐勤王党には178番目に血盟加盟しちょります。また山内容堂に従い京に上り、機密を扱う御用掛けの命を拝し、諸藩の動向を探索するなど尊王攘夷派として奔走しちょります。土佐勤王党の獄が起こると、同志らと...

坂本龍馬と武市瑞山 - 両者の違いは現実主義者と理想主義者

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今回は、このブログ的には直接関係ない事で、読む人には「如何でも良い」ような事ですが、最近、ある研修を受けた際に、何度も繰り返された、当方にとっては嫌いな「夢」と云う言葉に付いて、ちっくと・・・・・。最初に自己紹介で「夢」を語らされ、一瞬、躊躇(ちゅうちょ)したが、私には「夢は無い」と答えた。その後も、事ある度に夢・夢・夢・・・・・。別に誰が如何な夢を持とうが、目的を持とうが自由じゃけんど、一種の洗...

中西陽太郎 - 征韓論争を主導した岩倉具視を赤坂喰違に襲撃した一人

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[ 高知県高知市小石木  ]嘉永2年(1829)土佐郡潮江村(現・高知市)に生まれ、名を茂樹、通称・陽太郎という。戊辰戦争に従軍し北越で巧あり、維新後は上京し、海軍提督府警史になるが、明治6年(1873)征韓論に敗れた西郷隆盛・江藤新平・板垣退助らが下野すると憤慨に絶えず、明治7年(1874)1月14日夜、武市熊吉ら同志8名は赤坂喰違坂にて岩倉具視を襲撃する。しかし、岩倉具視に怪我を負わせるも暗殺は失敗し捕われ、同年7月9日...

横山覚馬直方 - 佐幕派の考えを持ち、鹿門十哲の一人とも称される

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[ 高知県高知市布師田 ]横山直方は、文化14年(1817)に高知城下の土佐藩御馬廻格・横山助之進直保の子に生まれ、通称は覚馬と言う。天保12年(1841)に跡目を継ぎ、弘化4年(1847)に教授館御目付役となり、後、御郡奉行や大御目付を経て、安政5年(1858)には約1年3ヶ月程、山内容堂の御側御用を務めちょります。因みに、嘉永6年(1853)に山内容堂によって大目付に抜擢され参政として強力な藩政改革を主導しちょった吉田東洋が、安政3年...

原荘九郎幸綱 - 戊辰戦争・折衝隊・会津若松で戦死

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[ 高知県高知市薊野北町  ]原荘九郎幸綱は、高知城下・南新町(現・高知市)の人で、戊辰戦争・東征には土佐藩折衝隊の徒士として従軍ちょります。 明治元年戊辰七月従官軍赴越前米澤城総陥又向若松城奮戦九月十七日中丸而歿時年十有九戊辰戦争には、明治元年七月に官軍として赴き、越前米沢藩が官軍に恭順した後、会津若松城攻めに向かい奮戦するも、十九歳で戦死しちょります。因みに米沢藩が官軍に恭順したのは、東山道先鋒...

安岡覚之助 - 土佐勤王党171番目の血盟同志、戊辰会津若松戦で戦死

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[ 高知県香南市香我美町山北 ]安岡覚之助は、天保6年(1835)香美郡山北村(現・香南市香我美町山北)の郷士・安岡正理(文助)の長男として、安岡家お西家に生まれちょります。覚之助は通称で、名は正義(正美)という。嘉永6年(1853)安岡家本家平八正秀の養子にとなっちょります。幼少より学才があったようで文武を学び、安政3年(1856)にゃ長崎に留学し砲術を学び、蘭学・兵学・地理学をも学び帰国しちょります。文久元年(1861)...

中岡慎太郎遺髪墓 - 慶応3年京都近江屋にて坂本龍馬と共に暗殺される

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[ 高知県安芸郡北川村柏木 ]北川村の中岡慎太郎館後方になりますが、ちょっと南の山側に150m程ゆるい坂道を上がって行くと山門があるがです。 石段の脇に慎太郎遺髪墓の案内板があるだけで、山門にゃ寺社名の表札も無いけんど、山門をくぐると当時の境内中庭と思われる場所に松林寺跡の碑が建っちょります。 墓碑は、境内左手奥にある。中岡慎太郎遺髪墓地松林寺の参道を上がり、子安地蔵尊の奥にある中岡家の墓地。慎太郎の墓は...

河野忠之進晴雄 - 迅衝十四番隊士として会津若松で戦死

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[ 高知県高知市福井  ]土佐郡井口村(現・高知市)の人で、戊辰戦争・東征に土佐藩の迅衝十四番隊士として従軍し、明治元年9月17日に会津若松城南で戦死しちょります。本墓は、現・会津若松市の東明寺の西軍墓地に埋葬されちょります。会津若松西軍墓地 2 - 故郷遠き会津若松に眠る土佐藩兵49名 2015-10-26   [ 注意! ]■ 墓探しで山に入る場合 は、季節によっては、マムシ(ハミ)・ヤマダニ・ヤマヒル・イノシシ・ハチ等に...

片岡利和邸跡 - 土佐勤王党、陸援隊志、明治24年千島列島を探検

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[ 高知県高岡郡佐川町乙 ]佐川町の方から猿丸峠を越え、斗賀野の方に下って来ると、左側に片岡利和邸跡の説明板があるがです。元の名は永野源馬と言い、那須橘蔵の養子となって那須盛馬と称し、慶応元年(1865年)片岡源馬(利和)と改名し、中岡慎太郎の陸援隊志の一人ながです。佐川町指定文化財 片岡利和邸跡高知藩士永野(長野)氏の次男として生まれ盛(守)馬といった。鳥の巣村那須橘蔵(橘造)の養子となり深尾領主につ...

久松喜代馬 - 土佐勤王党に146番目に加盟、井上佐一郎殺害で処刑

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[ 高知県高知市東秦泉寺山 ]場所は、西真宗寺山の山の中にあります。久松喜代馬は天保5年(1834)に高知城下の東新町(現・高知市桜井町)の久松圓次重之の三男に生まれ、名を重和というがです。土佐では剣を麻田勘七に習うちょります。この麻田勘七と言う人は、土佐藩馬廻格・麻田利太夫の次男として高知城下に生まれ、勘七は通称で、麻田直養(あさだ なおもと)とう。 江戸で鏡心明智流の桃井春蔵直雄に剣術を学び、土佐じゃ千...

北代健助 - 堺事件・九番目に切腹

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[ 高知県南国市十市 ]写真は、堺事件十一烈士の一人・北代健助邸跡を示す史跡の標柱です。北代堅助は、天保4年(1833)に、長岡郡十市村(現・南国市)の土佐藩郷士の家に生まれちょります。郷士といっても、山内氏入国後の新田開発政策で郷士株を手に入れ、郷士格になっちょります。諱は堅勝、通称は堅介、健助とも書かれる。慶応4年(1868)、箕浦元章(猪之吉)の率いる警備隊の、折衝六番隊に属して摂州大坂・泉州堺の警備の任...

上田官吉正秋 - 土佐勤王党に75番目に加盟、会津城攻めで戦死

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[ 高知県高知市薊野北町  ]場所は、1月15日に記載した東真宗寺山の中島與一郎のお墓の近くにあります。上田官吉は、天保10年(1839)に高知城下浦戸町(現・高知市はりまや町)に用人格の家に生まれ、名は政秋という。土佐勤王党にゃ75番目に血盟同志に加わっちょり、文久3年(1863)に京都に上っちょりますが、平井収二郎が間崎哲馬・弘瀬健太らと青蓮院令旨事件を起こした時、土佐に送還される収二郎の護衛にあたっちょります。ま...

島村省吾 - 鷲家口の戦いに敗れ逃れるが捕えられ京都六角獄舎へ

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[ 高知県室戸市羽根  ]羽根町を通る国道55号線(徳島~室戸~高知)のバス停「羽根船場」と「羽根大敷前」の丁度中間辺りの海側の国道傍に、大きな島村省吾の墓碑が建っちょります。島村省吾は天保15年(1845)安芸郡羽根村(現・室戸市)に生まれ、緯皆は正雄、幼名を武之助という。高知城下へ出て砲術を学び、江戸に遊学し文武を修めたが、特に砲術にゃ優れちょったという。安政6年(1859)頃から脱国して諸藩の志士と交わり、のち...

中島與一郎 - 土佐勤王党に62番目に加盟、会津母成峠で戦死

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[ 高知県高知県高知市薊野北町  ]場所は、岡田以蔵のお墓のある東真宗寺山の竹藪の中(行った当時)に、中島與一郎のお墓があります。 中島與一郎は、土佐藩迅衝隊砲隊士として戊辰戦争に従軍し、慶応4年 (1868)8月21日の奥州・母成峠(勝軍山)の戦い(福島県)で、勝軍(将軍)坂にて二十八歳で戦死しちょります。 同国猪苗代静井寺に葬ると刻まれちょり、土佐の墓は遺髪墓です。数年前、静井寺を参拝したがですが、大雪の日で...

三原兎弥太正矩 - 土佐勤王党に161番目に加盟、会津若松で戦死

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[ 高知県高知市・皿ヶ峰南丘西側  ]場所は、前々回の記事、竹本小弥儀さんのお墓の近くになりますが、こちらは南嶺への登山道の直ぐ脇にあり、傍に立派な説明板がありますき、見かけた方もありますろー。竹本小弥儀 - 河田小龍が美声で名を広めた小弥儀太夫の略伝を書く 2017-01-07 三原兎弥太(みはら とやた)は弘化元年(1844)に生まれちょります。剣を谷恒直に学び、土佐勤王党にゃ161番目の血盟同志として加盟しちょります...

中島興市郎 - 国境まで脱藩するも足を痛め追っ手に囲まれ自害

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[ 高知県土佐市新居  ]中嶋與一郎は天保13年(1842)高岡郡新居郷本村(現・土佐市)の富農、郷士で老役を務める曽平の二男に生まれちょります。祖父・浅右衛門には男子が無かったため、長女の婿に兄・喜左衛門の二男・曽平を養子に迎え生まれたのが與一郎で、二女には梼原郷から竹村猪之助を養子に迎え作太郎(中嶋信行)が生まれるがです。ですきに中島興市郎と、坂本龍馬と海援隊で活躍した中島作太郎(中嶋信行)とは、いとこ...

龍馬居眠りの堤 - 偉人にありがちな龍馬伝説の一つ

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[ 高知県高知市上町五丁目  ]鏡川右岸にある石立八幡宮の対岸辺りになりますが、観音堂があります。その境内に「龍馬居眠りの堤と観音堂」と言う説明板が建てられちょります。 「龍馬居眠りの堤と観音堂」この鏡川(汐江川)で姉、乙女により水練を教わったという龍馬・・・時は小高坂楠山塾(現 城西中学校西隣)を退いた後であろうか、水練で疲れた体をこの附近の堤に身を横たえ休んだいるうちにふと軽い眠りにおちたであろう...

阿部駒吉 - 戊辰東征・土佐藩迅衝三番隊に参加し会津若松戦で戦死

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[ 高知県高知市・筆山 ] 阿部駒吉は天保10年(1839)田所九作元世の4男に生まれ、初め元道、後、洞元(ひろもと)と言う。その後、阿部惣三郎の養子となっちょるがです。土佐勤王党の血盟同志ではないけんど、同志として奔走しちょり、土佐勤王党48番目の血盟同志・田所助次郎元晶は、実弟になる。小南五郎右衛門の従者として上京、次いで山内公子の歩行役(かちやく)となる。小南五郎右衛門 - 上士にあって土佐勤王党への理解者の...

美正貫一郎 - 三春を賊軍の汚名と戦火から救った土佐藩断金隊隊長

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[ 高知県高知市平和町 ]美正貫一郎(みしょう かんいちろう)は、天保15年(1844)に土佐藩医師・下村惇斎の二男とし高知城下南奉公人町(現・高知市上町)に生まれ、慶応2年(1866)同町の土佐藩士徒士格・美正家の養子となり同家を嗣いじょります慶応4年(1868)1月、戊辰の役には土佐藩迅衝隊として参加し、伏見の合戦に参戦し、一番司令に任ぜられ、甲府城を無事に保護するや、「浪士掛探索役」を仰せ付けられる。甲州では、旧武...

龍馬の姉 乙女居宅之跡 - 乙女姉さんが嫁いだ岡上邸があった場所

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[ 高知県香南市香我美町山北  ]司馬遼太郎さんの『竜馬がゆく』の「寅の大変」に、一年八ヶカ月ぶりに土佐に帰って来た場面に、下記のような行がある。翌朝、まだ暗いうちに竜馬は高知城下を発って、街道を東にむかった。途々、出会う人はみな提灯の紋所をみて竜馬と知ると「坂本の坊さん、どこへ行きなさる」ときいた。「山北へ、さ」そう答えると、たれもかれもが竜馬の生い立ちを知っているから、「それはよかった。山北では...

小笠原唯八(牧野群馬茂郷) - 会津若松攻めで弟と共に敵弾に倒れる

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[ 高知県高知市西久万 ]ここも判りずらい場所で、山中をたつくって(土佐弁で、駆けずり回るの意)ようように見つけた、お墓です。墓碑には牧野群馬茂郷とありますが、元の名は小笠原唯八茂郷の事です。小笠原唯八は、文政12年(1829)に高知城下(現・高知市)の、土佐藩馬廻格250石・小笠原弥八郎の嫡男として生まれちょります。文久年間の初めに山内容堂に仕え、のちに大監察兼同軍備御用役や仕置役等の要職に就いちょります。...

小笠原保馬 - 土佐勤王党に8番目に加盟、母は武市瑞山の姉・美多

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[ 高知県高知市介良 ]小笠原保馬は、天保13年(1842)に、城下・鏡川河畔の雑喉場(現・高知市)の小笠原嘉助正孝の子に生まれ、名は正実、通称・忠五郎と言う。父・小笠原嘉助正孝の後妻になる母・美多は、土佐勤王党党首・武市瑞山の姉になりますき、叔父・甥の関係になるがです。武市瑞山墓 - 武士としての誇りと、藩主に対する忠誠の間で 2010-07-11因みに、小笠原嘉助正孝の長女は、土佐勤王党血盟同志・島村左伝次(島村雅...

平井善之丞閑居地 - おこぜ組の疑獄が起こり蟄居して住んだ場所

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[ 高知県南国市岡豊町小蓮  ]場所は、ちょっと前に御紹介しました南国市岡豊町小蓮にある小野神社(小野古城)の参道を登った直ぐ左側に、幕末の土佐藩大監察を務めた平井善之丞が一時期住んだ屋敷跡があった場所じゃそうです。土佐藩第13代藩主・山内豊煕のもとで、天明の改革の大目付として藩政刷新にのりだしたけんど、天保14年(1843)、土佐藩の保守派が対立していた急進改革派(おこぜ組)を投獄する「おこぜ組の獄」が起こ...

大脇順若 - 安政年間山内容堂の密命を受け京都で朝廷の動向を探る

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[ 高知県高知市高見町 ]大脇順若(おおわき まさより)に関しては、以前、潮江天満宮にある碑の記事で記載しちょりますき、省略いたします。大脇順若の建てた碑 - 山内容堂の密命で三条実美と接触した人 2013-10-14遠祖は藤原氏で、始祖とされる大脇助左衛門は織田信長に仕えちょった人で、享保6年(1721)に4代目になる大脇彌五郎忠陳が土佐藩第7代藩主・山内豊常に召抱えられたのが、土佐に於ける始祖じゃそうです。[ 注意! ...

土居楠五郎屋敷跡周辺 - 坂本龍馬の日根野道場時代の剣の師匠 

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[ 高知県南国市十市  ]南国市十市の方の友人に、坂本龍馬の日根野道場時代の剣の師匠じゃった土居保(楠五郎)の屋敷跡があると教えてもらい、撮影して来たがです。ただ、詳しゅい場所は判らんけんど、「この辺りじゃとは聞いちゅうけんど・・・」と言う事でした。土居保(楠五郎)は、長岡郡十市村字糸木(現・南国市十市 の郷士で、日根野弁治道場の師範代として、龍馬が14歳の時から剣の指導をし、人間形成にも深い影響を与えたと...

山田平左衛門 - 土佐での始祖は山田去暦、その娘は「おあん」

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[ 高知県高知市筆山 ]山田平左衛門は、弘化2年(1845)高知城下帯屋町(現・高知市)、知業580石馬廻役の土佐藩士・山田八蔵清粛の子に生まれ、諱は清廉、幼名は山田喜久万と言うがです。武弁をもって知られ、乾退助(板垣退助)らと武力討幕を唱え、慶応4年(1868)伏見の戦いには小隊司令として従軍し戊辰戦争では東北の役にも従軍し抜群の武勲をあげたそうながです。明治6年(1873)征韓論に敗れて高知に帰り、板垣退助や片岡健吉ら...

森助太郎為政 - 土佐勤王党に158番目に加盟

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[ 高知県香南市野市町新宮 ]森新太郎は、文政12年(1829)年、香美郡富家村新宮(現・香南市)の郷士・森喜右衛門の長男として生まれ、名は為政、初め助太郎と言う。文武を好み、竹村東野、岡本寧浦らに学んじょります。竹村東野墓 - 塾生に中岡慎太郎・大石圓・宮地宜蔵ら・・・ 2010-08-05 岡本寧浦 - 私塾を開き多くの志士たちにも影響を与える 2011-08-30嘉永6年(1853)ペリーが率いる黒船4隻が浦賀沖に現れた事で、海防が叫...

大石弥太郎 - 武市瑞山らの赦免を同志と共に藩庁に歎願するも叶わず

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[ 高知県香南市吉川 ]土佐勤王党結成に尽力し、盟約書の起草も手掛け、自身も2番目の血盟同志に名を連ね同党幹部として活動しちょります。文久3年(1863年)の八月十八日の政変を気に、土佐でも土佐勤王党への弾圧が始まり武市瑞山をはじめ主要な勤王党員が投獄されるなか、大石弥太郎自身は常に藩命により行動していた事が幸いして、投獄は免れたそうです。投獄を免れた同志達は、武市瑞山の赦免を嘆願し、建白書を提出するがで...

村田忠三郎 - 土佐勤王党の獄で山田橋獄舎に投獄される

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[ 高知県香南市吉川 ]村田忠三郎は、兄・村田右馬太郎(帰本)とともに土佐勤王党に加盟しちょります。江戸に出て千葉道場で剣を学んじょります。五十人組にも加わり、山内容堂の警護として江戸に出、翌年、容堂が京に上り、土佐に戻るまで側役を務めちょります。土佐勤王党への弾圧が始まると、捕らえられて山田橋獄舎に投獄され、藩吏・井上佐一郎殺害事件の容疑で、処刑されちょります。【 参考・引用 】  『土佐の墓』 ...

宮田節斎 - 土佐勤王党に127番目に加盟・野根山二十三志士の一人

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[ 高知県高知市春野町弘岡上  ]宮田節斎は天保7年(1836)に、吾川郡弘岡上ノ村(現・高知市春野町)に生まれちょります。幼い時から、学問を好み医学を学び、嘉永2年(1849)に高岡郡蓮池村正覚寺の住職となっちょります。が、安政3年(1856)に何があったのかは分からんけんど、職を失って、安藝郡伊尾木村(現・安芸市)に追放になり、安田村の医師・宮田謙次に仕え更に医術を学ぶ傍ら、同村の儒学者・高松淳蔵に就き經史を学ぶがで...

古沢迂郎 - 土佐勤王党に138番目に加盟

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[ 高知県高岡郡佐川町甲  ]古沢迂郎は弘化4年(1847)に佐川・深尾家に代々仕える家臣・古沢南洋の二男に生まれ、初名を光迂、後に滋と名乗っちょります。兄は、土佐勤王党に134番目に加盟しちゅう岩神主一郎です。岩神主一郎 - 土佐勤王党に134番目に加盟  2015-03-27文久2年(1862)15歳の時、上洛し平井収二郎に気に入られ国事に奔走するがですが、文久3年(1863)に平井収二郎は間崎蒼浪、広瀬健太らと藩を勤王へと藩政改革を...

村田馬太郎 - 土佐勤王党に97番目に加盟

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[ 高知県香南市吉川 ]中央の墓石が村田馬太郎(帰本)夫妻の墓で、手前左は土佐勤王党の獄で投獄され斬首刑に処せられた弟の村田忠三郎の墓です。村田馬太郎は天保9年に香美郡古川村(現・吉川村)の郷士・村田新十郎の長男として生まれ、名を有尚、のち帰本と言う。始め医術を学び医を業とし、安政5年(1858)津藩(現・三重県津市)に遊学する事3年、斎藤抽堂(さいとう せつどう)に入門しちょります。ちなみに斎藤抽堂は、津藩...

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