category: 戦国土佐 | 南北朝から長宗我部氏  1/3

東諸木城 - 岡宗泰純の『西郊餘翰』に小西行長の墓の事が

[ 高知県高知市春野町東諸木  ]春野町東諸木の諸木郵便局の北東の山が東諸木城跡で、南麓のバス停諸木の北側に八幡宮がありますき、これが城八幡かと思われます・・・・・。東諸木城跡城主、堀内九朗左衛門。古城記曰(いわく)、徳弘主水正(とくひろ もんどのしょう)之れに居ると。天文二十二年(1553)正月秋利市正 一條康政東諸木の領主堀内九朗右衛門(城主の所には、九朗左衛門とあり誤記か?)の世々忠節あるを賞し、名字...

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阿波塚 - 長宗我部と激戦の末、討たれた多くの阿波兵の霊を祀る

[ 高知県南国市国分 ]国分寺の北北東約2Kmの所に、この阿波塚神社があり、無数の五輪塔があるがです。 長宗我部七代兼光の頃は、長宗我部家はまだあまり大きな勢力にはなっていませんでした。このころ豊永に、小笠原左近太夫という大豪族がいました。阿波の一部まで領地があり、香長平野に進出しようと好期をひそかにうかがっていました。時を得て、小笠原師は阿波兵を配下として南に下り、国分の北平曽に陣を整え、岡豊に向か...

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飛鳥井曽衣 - 一条氏滅亡後、長宗我部元親に招かれて岡豊城に

[ 高知県高知市大津  ] 高知市と南国市の境辺りに大津と言う所がありますが、とさでん交通御免線の領石電停の南の山の東麓に、飛鳥井曽衣さんのお墓と記念碑が建っちょります。「曽衣(そい)」は号で、本名は飛鳥井雅量(あすかい まさかず)と言い、藤原北家難波家の流れをくむ羽林家の一つでで蹴鞠を代々家芸を継承する名家で、話はちょっと逸れるけんど、京都府京都市上京区今出川通堀川にある白峯神宮は、配流されてその地...

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桑名丹後守重定 - 土佐桑名氏始祖、元親に仕え三家老の一に列する

[ 高知県南国市岡豊八幡  ]岡豊城址の南麓のこの辺りが、桑名丹後守重定・桑名藤蔵人兄弟の土居のあった辺りのようです。戦国時代の初期(応仁の頃)、桑名丹後守が土佐に来たのが始まりで、長宗我部元親に仕え土佐平定にも功績を立てて、桑名・久武・中内の長宗我部三家老の一に列したとされちょります。遠祖は伊勢平氏の庶流にあたり、もとは伊勢国桑名郡桑名郷が出自のようで、地名から桑名姓をを名乗ったと言う。永禄年間、...

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鴻ノ森城跡 - 長宗我部軍に水源を断たれ白米伝説が残る

[ 高知県高知市福井字高森 ]車では途中までは行けますが、車止めがある所から先はミカン畑になっちょり、その間を歩道が山頂まで続いちょります。 詰段は平坦で案内板が設置されちょります。 高ノ森(鴻ノ森)城由来 『戦国の土佐は、安芸、山田、長宗我部、本山、吉良、大平、津野の七守護に分され、幡多は一条家の庄園となっていました。その中で最強の本山氏は土、長、吾、三郡を占有しており、高ノ森には名将高ノ森出雲守を...

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比江山神社 - 比江山掃部助親興が埋葬されたのは升形周辺か

[ 高知県高知市升形・出雲神社  ]今回も、前回の記事にも被るがですが、同じ出雲神社の境内社に比江山神社があるがです。吉野朝廷時代古戦場跡 - 元の碑の位置は由比直枝屋敷傍・・・ 2016-11-10南国市の、比江山城址にある比江山神社の説明は下記のようにあった比江山城跡 - 長宗我部国親の弟・ 国康の二男・比江山掃部助親興 2016-09-25比江山神社比江山掃部助親興公夫婦並にご両児を奉祀する。親興は長宗我部家の世継ぎに関...

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蓮池城 - 蓮池氏から長宗我部氏まで約430年幾多もの興亡を繰り返す

[ 高知県土佐市蓮池  ]土佐市蓮池の土佐市消防署の西隣りに、標高が約44m程の小高い丘陵があり城山公園になっちょりますが、此処が蓮池城跡ながです。 平氏・平重家の家臣・近藤家綱が蓮池の地に居城を構え蓮池氏を名乗ったことに始まり、嘉応2年(1170)に築城したとされちょります。蓮池権守家綱というのは、当ブログでも何度か御紹介しちょります、同じ平家方の平田俊遠と源頼朝の弟・源希義を討った人物です。源希義戦死伝承...

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比江山城跡 - 長宗我部国親の弟・ 国康の二男・比江山掃部助親興

[ 高知県南国市比江字城山  ]南西の紀貫之邸跡・古今集の庭付近から見た、比江山。国司館跡(紀貫之邸跡) - 国府史跡 2009-05-10 比江山は紀貫之が都の比叡山を偲んで名付けたと言われています。また、この山には数々の史跡が点在している事から、比江山の南麓にある日吉神社の鳥居傍に「南国市史跡 比江山」の碑と説明板があり、その史跡の一つが「比江山城址」ながです。 比江山城址長宗我部元親の従兄、比江山掃部助親興の...

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佐川越中守 - 戸波城恵良沼の戦いで主家・津野元実らと討ち死に

[ 高知県高岡郡佐川町甲  ]佐川駅の北東にある松尾八幡宮のちょっと東側の民家の玄関脇に、数基の無銘の五輪塔が並んじょりますが、これが佐川越中守のお墓ながです。佐川越中守の墓中世室町期に佐川町東西部を領していた津野氏の一族佐川越中守の墓といわれる。氏は松尾城を守備して越知黒岩郷の片岡氏に対し新福寺を中心にして寺領を守り、土居屋敷政所、弓道場等をかまえて高北の前進基地としていた。永正十四年(1517)津野氏...

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五百蔵筑後守 - 山田氏滅亡後、長宗我部氏に仕える

[ 高知県香美市香北町五百蔵  ]五百蔵と書いて「いおろい」と読みます。日本の地名や姓名の中でも、難しい読みの名前の一つですねー。場所は、物部川右岸の香美市香北町五百蔵と言う所の山の中に、土佐の戦国時代の武将で、長宗我部の家臣じゃった五百蔵筑後守の墓があるがです。 五百蔵筑後守は、天文18年(1549年)長宗我部国親が父・兼序を滅ぼした本山・山田・大平・吉良氏らの連合軍の一人仇敵の山田氏を楠目城の山田氏を...

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中神社 - 神森城主・鴻森出雲守の家臣・中 内記を祀る

[ 高知県高知市尾立  ]高知市尾立の鏡川左岸、高知道の高架の下辺りになるけんど、民家と民家の間に、中神社と言う小さなお宮さんがお祀りされちょります。この神社は、此処から東に1.5Km程の所に標高が約300m程の鴻ノ森と言う山があるけんど、ここに本山氏の配下で城主・鴻森出雲守が守る神森城があったがですが、永禄4年(1561)頃、長宗我部元親の家臣・福留隼人・中島大和などに攻められ城は落城しちょりますが、その時、落人...

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岡豊別宮八幡宮 - 長宗我部元親は戦の度に戦勝祈願を

[ 高知県南国市岡豊町  ]この岡豊別宮八幡宮は、県立歴史民俗資料館のある岡豊城址の北側を東西に走る土佐北街道(県道384号線)の北側の山に鎮座しちょります。 二の鳥居をくぐって、長い参道が続いっちょります。 約200m程、参道を進むと石段になる。 中段に差し掛かって、やっと石段の先に拝殿が見えて来たがです。 下から、地図の平面距離で約200mの石段を上り詰めると、拝殿に到着です。標高が約108m、一ノ鳥居から高低差が...

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比江山掃部介妻子の墓 - 元親の家督相続問題に連座して殺害される

[ 高知県香美市土佐山田町新改 ]JR土佐山田駅から北に直線距離で約2Km行った、新改川の右岸に比江山掃部介親興公の妻子を祀る比江山神社があるがです。 比江山掃部介妻子の墓掃部介親興は長宗我部元親の従弟で家老職を務めていた。元親の長男信親が、豊後国の戸次川で戦死したのち世継ぎの問題がおこり、元親は四男盛親を世継ぎにしようとして三男親忠を推す親興、吉良親実等に切腹を命じた。親興は切腹するとき妻子を新改の松...

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理春尼 - 片岡茂光の妻で長宗我部国親の妹、菩提を弔い盆踊りを

[ 高知県高岡郡佐川町瑞応・瑞応寺跡 ]佐川町のJR西佐川駅から、仁淀川の支流・柳瀬川沿いに北に約4Km程行った山間に、瑞応という戸数約30戸程の小さな集落があり、そこに写真の瑞応寺跡があるがです。傍の、説明板にゃ下記のようにある。瑞応の盆踊り(県指定無形文化財)と瑞応寺瑞応寺は戦国時代の黒岩の豪族片岡茂光の夫人で長宗我部国親(元親の父)の妹が永禄三年相ついで死亡した夫茂光兄国親の菩提を弔うため一五六六(...

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本山清茂(梅渓)墓 - 長宗我部元親の父・国親の終生最大の宿敵

[ 高知県吾川郡いの町枝川  ]今回は本山清茂(梅渓)の墓地への標識のみで、実際の墓地には辿り着く事が出来ず、御墓の写真はありません。本山梅渓または梅慶は通り名で、名は清茂・茂宗・左近太夫と言い、土佐七守護の一人・本山養明の子として、永正5年(1508)に生まれちょります。永正4年(1507)室町幕府の管領で事実上の最高権力者で半将軍とも呼ばれ、丹波・摂津・土佐守護を務めた第12代細川京兆家当主・細川政元が暗殺され...

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長宗我部盛親公慰霊之碑 - 400年忌に遺徳を偲び建てられる

[ 高知県高知市長浜・秦神社  ]秦神社の拝殿東側に、「長宗我部盛親公慰霊之碑」が建てられちょります。亡くなられたのは慶長20年5月15日(1615年6月11日)大阪夏の陣の事じゃったがです。現在、NHK大河「真田丸」が放送されちょり結構好評のようですねー。ドラマも、大阪冬の陣からクライマックスの「大坂夏の陣」が最大の見所になっていくと思いますが、長宗我部盛親は主人公の真田信繁、後藤基次、毛利勝永、明石全登と共に「...

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磯崎御殿跡 - 長宗我部元親が建て、『南路志』に「南国の勝景也」と・・・

[ 高知県高知市浦戸町  ]前回の、「法経堂跡」の記事の最後に書いた愚痴に関連して、オンチャン的な「失われ行く史跡」としてもう一つ「磯崎御殿」を取り上げます。記事タイトルを「磯崎御殿」としたのは、他にも観海亭・御浜御殿・栂御殿・浦戸御殿とも呼ばれちょったそうですが、『土佐奇談実話集』に「磯崎御殿の怪火」と言うお話が記載されちょり、このタイトルにした次第ながです。磯崎御殿の怪火  (浦戸) 長曽我部元親...

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津野豊後守橘正忠 - 二百回忌に子孫達が建てた供養塔 

[ 高知県土佐市高岡町・清滝寺 ]以前ご紹介しちょります、津野豊後守橘正忠さん関係をもう一つ。 津野豊後守橘正忠 - 本来なら津野氏第18代姫野々城主じゃった 2016-03-10場所は、津野豊後守橘正忠墓のある車道の上の方にある四国霊場第35番札所・清滝寺の境内ながですが、本堂前に建っちょります高さが約15m程の「厄除薬師如来立像」の傍に、供養塔が祀られちょります。津野氏本家の家督を長宗我部元親の三男・津野孫次郎親忠...

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乳母ケ谷(姥ヶ谷) - 濱口雄幸の先祖が乳母と逃れ住んだ地と伝承

 [ 高知県高知市横浜姥ヶ谷地区  ]上は昭和54年版の高知市地図から、西孕と呼ばれる付近を抜粋しちょりますが、そこに当時の県交通のバス停に「ウバガ谷」の文字が見えます。現在は、バス路線は廃止になっちょりますが、一枚目の写真がバス停「ウバガ谷」があった辺りから見た、乳母ケ谷(姥ヶ谷)じゃと思われる場所ながです。乳母ケ谷は宇津野峠東南麓とされ、永正14年(1517)津野氏の家臣じゃった水口弥惣左衛門が高岡郡戸波...

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大野豊前守墓 - 応仁の乱を逃れて田野荘に来た都人とか

[ 高知県安芸郡田野町・田野八幡宮本殿後 ]大野豊前守の墓大野豊前守については不明なことが多いが十六世紀の初め、応仁の乱を避けた貴族が、田野荘に来て大野の東端金毘羅山に城をかまえ附近を領して大野豊前守と称したと伝承されている。この石堂は屋根型の石で覆われ正面の扉には十六葉の菊の紋章、その下部と横に蓮の浮き彫りがある。【 参考・引用 】  田野町の説明板より写真には収めちょりはしませんが、扉の格子の間...

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津野豊後守橘正忠 - 本来なら津野氏第18代姫野々城主じゃった

[ 高知県土佐市高岡町 ]四国霊場第35番札所・清滝寺への車道脇に写真の「津野豊後守橘正忠墓 道標」と書かれた標柱が建っちょりますが急勾配の山道で道幅も狭い場所じゃき、皆さん気が付かれん方の方が多いかと思います。場所的に下りじゃないと気が付かんのではないかと思いますし、本来の参道を歩かれる方は見る事はないでしょう。 津野豊後守橘正忠と言う人は、 津野氏第17代姫野々城主・津野勝興の長男で、本来なら津野氏第...

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戸波城跡 - 一条氏家臣・福井玄蕃が城代

[ 高知県土佐市本村 ]県道287号線(家俊岩戸真幸線)の岩戸地区の岩戸バス停辺りから見た 戸波城跡ながです。 そこから西に約1.2Km程行った、下本村公民館の西側の道路の南側に「戸波城跡 」の碑が建っちょります。知らん人は「戸波城跡 」の碑を見ると、碑の後ろのビニールハウスの先の山を戸波城と思う人も居るようですが、違うがです。 碑は北向きに建っちょるがでして、つまり碑の後ろから見て右肩の山が 戸波城の詰があった...

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佛性寺 - 長宗我部元親家臣・坂本彦右衛門が元親の菩提を弔う

[ 高知県高知市大津 ]以前、境内の大椎が 高知県天然記念物に指定されちゅうと御紹介した、大津の佛性寺さん。佛性寺の大椎 - 高知県天然記念物 2011-11-28もとは、此処に長宗我部元親の家臣・坂本彦右衛門が住んじょったそうですが、慶長4年(1599)に元親が亡くなって、数十年後の寛永年中(1624-1643)に元親の菩提を弔うが為に自ら僧になり、僧名・善経となって寺院を建て菩提を弔らったがが寺としての始まりじゃそうです。現...

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池四郎衛門 - 昔は「仁井田五本松」、現在は「いし様」として祀られる

[ 高知県高知市仁井田 ]此処は、高知市仁井田のJA高知三里の東約70m程の所にある、仁井田神社の大鳥居があり祭礼の時の御旅所になる場所ながです。鳥居側から見ると、東北の隅に赤い屋根のこんまい祠が木々に隠れるように鎮座しちょり、地元じゃ通称「いし様」と呼ばれ、信仰されちょります。 この「いし様」とは、土佐の戦国時代の武将で、池城城主・池豊前守頼和の子・池四郎衛門を祀った祠じゃそうながです。池四郎衛門は長宗...

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蓮池城主大平氏累代の墓所 - 土佐一条氏によって土佐大平氏は滅ぶ

[ 高知県土佐市波介四方寺 ]土佐市波介の四方寺地区の民家の奥まった場所に、「蓮池城主・大平氏累代の墓所」がある。 「蓮池城主大平氏累代為菩提也」と刻まれた墓標の一段上に、数基の塚が一ヶ所に固まって並んじょります。 蓮池城主大平氏累代の墓所蓮池城は、蓮池権頭家綱によって始まったが、源氏の台頭により家綱は頼朝方によって討たれた。その後は、建久3年(1192)源氏方の藤原国信が守護に任ぜられ、大平氏を名乗って蓮...

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長宗我部元親飛翔之像 - 岡豊城址に新たなシンボルとして建つ

[ 高知県南国市岡豊町八幡・県立歴史民俗資料館  ]今年(2015年)の5月3日、長宗我部元親の居城じゃった岡豊城址の一角に建つ高知県立歴史民俗資料館の正面玄関前にお目見えした、「長宗我部元親飛翔之像」と言う銅像ながです。 ちょっと”イケメン”すぎる面立ちじゃないかねー・・・・・。...

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津野親忠 - 家督争いに巻込まれ末、元親に幽閉され弟・盛親が殺害

 [ 高知県香美市土佐山田町神通寺・津野神社  ]津野孫次郎親忠の眠る津野神社 は、土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線の立田駅のすぐ東を南北に走る県道31号前浜-植野線を北上して行くと、左側に福船簡易郵便局があるがですが、其のすぐ近くにある児童養護施設・博愛園を目標にして行ったら判りやすいと思います。児童養護施設・博愛園の北側の道を東に進み、付き当たり右に行くと、こんもりとした木立の中に神社が建っちょり、...

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賀田城址 - 最初、天文年間に井上又四郎が城を築く

[ 高知県吾川郡いの町加田  ]仁淀川の左岸にある加田の集落に、川に迫出すように連なる尾根があるがですが、その先端部の頂が賀田城があった場所ながです。 急勾配の山道を上って行くと、頂上部が平坦に開けて一部墓地になっちょりますが、ここが主郭じゃった場所ながです。 その一角に、城主井上神社が祀られちょります。 賀田城址城主井上又四郎天文ノ頃此地ニ城ヲ築く常ニ和ヲ本トシ仁徳篤シ弘治二年(一五五六)本山氏ノ侵攻ニ...

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吉良親実 - 吉良神社は七人ミサキ伝説の吉良親実が御祭神

[ 高知県高知市春野町西分増井  ]春野町を東西に流れる新川川の左岸の西分増井に、木塚山と言うこんまい山と言うか丘のような木々の生い茂った場所があるがです。 鳥居にゃ吉良神社と言う扁額が架かっちょり、元は木塚明神と言い、地元の人々からは「明神さん」として親しまれちょるそうです。 鳥居脇の吉良神社の説明板に、御祭神は吉良左京進秦親實公とある。 吉良左京進秦親實とは、長宗我部元親の弟・吉良親貞の子ですき元親...

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香川五郎次郎親和 - 長宗我部元親の二男

[ 高知県南国市岡豊町八幡字岡豊山  ]南国市の岡豊城址にある県立歴史民俗資料館に上って行く途中の右側に、写真の「伝 香川五郎次郎親和之墓」と記された標柱が建っちょりまして、道路から脇道に入って少し下った場所に墓所があるがです。 伝 香川五郎次郎親和の墓元親の次男親和は、讃岐の香川家を継いだが、秀吉の四国征伐によって香川家は改易となり、親和は人質として郡山に居た。後岡豊に帰り東小野村に蟄居していた。元...

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西深渕城跡(立田城跡) - 長宗我部時代にゃ城主は立田甚左衛門

[ 高知県南国市立田  ]土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線の立田(たてた)駅の東、約300mの所に立田神社があるけんど、その北に約200m程の場所に、写真の西深渕城跡の城八幡が鎮座しちょります。石碑にゃ西深渕城跡となっちょりますが、『土佐国古城略史 附御城築史』にゃ西深渕城跡の名称は見当たらんがですが 、どうやら「立田城跡」の事じゃないかと思われます。立田城跡土佐遺語曰、立田村大将軍の社の北1町に在り。城主、立...

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松ヶ瀬古戦場 - 津野軍・中平元忠と一條氏の安並・出間軍の激戦地

[ 高知県須崎市吾桑  ]永正14年(1517)西は津野山から東は須崎、野見浦のあたりまでを支配下においちょった津野刑部少将元実は、戸波射場城を守る土佐一條氏の家臣・福井玄蕃を攻めるがですが、福井玄蕃は久礼城主の佐竹掃部頭に応援を求め、更に佐竹氏は土佐一條氏の援軍を請うがです。津野軍は、敵軍が一條氏の援軍を得た事に慌て戸波射場城の西北の恵良沼に敗退するが、一條軍と大平軍の挟撃を受けて大敗するがです。この「戸...

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改田物見の城跡 - 久次土居城城主・改田修理の物見の城か

[  高知県香美市土佐山田町新改  ]物見の城に付いては、詳しい事は判らんがです。ただ、近くにある改田修理が城主じゃったと伝えられちょります「久次土居城跡」の、支配下にあったと思われます。その「久次土居城跡」は平地にあり、周辺の地形的だけ見たら、こっちが詰城(本城)じゃないかと思うがです。また南国市里改田にある「蚊居田土居城」の城主も、蚊居田(改田)修理で同一人物の様ですき、同じ支配域じゃったとしたら...

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細川頼益 - 細川氏一族遠州家四代目当主にして土佐守護代家始祖

[  高知県南国市田村・細勝寺  ]細川頼益は、室町幕府・細川頼之の一族じゃった人で、土佐守護代として香美郡田村荘(現・南国市)へ派遣され、田村の地を守護所と定めたと言うように記述しちょる書物もありますが、詳しくは省略するけんど『高知県人名事典』には、細川頼益の土佐守護職としての在職期間を確定することは困難であるとも記述されちょります。田村城跡 - 土佐守護・細川氏居城 2010-09-22細川頼益 - 満益 -...

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花熊城址 - 城主・横山友隆は長宗我部国親に敗れ長宗我部に仕える

[ 高知県高知市介良 ]高知市の東、介良川沿いの竹藪に覆われたこんもりとした山と言うか丘のような場所が、花熊城址と言われちょる所ながです。『高知県の地名』じゃ、介良城址とあり、鉢伏山の北西麓、小高い丘の上にあった平山城で、花熊城、横山城と呼ばれ、土佐・横山氏の本城とある。因みに、背後の標高170m程の山が介良三山の一つで通称・介良富士と呼ばれちゅう小富士山じゃけんど、此方を介良城址と紹介しちょるのもある...

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種崎城址 -  浦戸の本山氏に対抗して長宗我部国親によって築かれた

[浦戸漁港から見た種崎城址辺り][ 高知県高知市種崎・種崎千松公園  ]場所は、現在の種崎千松公園辺りで、遺構も無く松林以外なんにもないがです。築城年代は不明じゃけんど、対岸の浦戸の本山氏に対抗して、長宗我部国親によって築かれたがじゃそうです。永禄3年(1560)、長宗我部国親が浦戸城を攻略した後は、、自然廃城になったんではないかとされちょります。城と言うよりは、前線基地のような形態じゃったがでしょうか・・・...

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行川城址 - 本山氏の砦の一つ

[ 高知県高知市行川 ]行川城址は、行川中学校の南方にある標高約220mの山にある山城ながです。本山氏の砦也。城監、大黒與七兵衛。六百石を食む。【 参考・引用 】  『土佐国古城略史・全』 宮地森城・著(昭和10年)写真は、行川城址より更に1Km程南の城ヶ森の頂上から見た行川城址と、鏡川の上流・鏡ダム方面ながです。MapFan地図へ...

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布師田金山城 - 長宗我部に降った後は久武内蔵助親直が城主に

[ 高知県高知市布師田 ]国分川に架かる葛木橋の右岸にある、標高100m程の山が布師田金山城ながです。築城時期は判らんけんど、最初は土佐守護・細川氏の末流・石谷民部少輔重信が城主じゃったようですが、岡豊で長宗我部国親が勢力を広げて行くと、長宗我部に降り、その後は久武内蔵助親直が城主になっちょります。久武内蔵助親直ちゅうたら、長宗我部元親には信頼出来る家老じゃったようじゃけんど、奸臣(よこしまな家来)とし...

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