南国土佐へ来てみいや

南国土佐・高知の魅力と見所を歴史や史跡等の観光地を含めて御紹介

斗賀野城址 (二ノ部城址) - 蓮池城主・大平氏家臣・田原彦右衛門年為が代官に

斗賀野城址 (二ノ部城址)(佐川町西組)

[ 高知県高岡郡佐川町西組 ]


東側から見た、斗賀野城址 (二ノ部城址)。

斗賀野城址 (二ノ部城址)(佐川町西組)

佐川町指定文化財 
斗賀野城址 (二ノ部城址)

寛政三年(1463)土佐の守護・大平弾正光国に、斗賀野・尾川の代官に任じられた田原彦右衛門年為は米森氏を名乗り、翌年、斗賀野二ノ部に築城、津野氏の侵略の防壁とした。
長宗我部元親が土佐統一のとき、高北隣郷の郡雄が無条件降伏したなかでただ一人反抗奮戦したが、衆寡敵せず元亀元年(1570)落城した。
落城後、米森攻めの功臣・安並但馬に与えられた・・・・・
(後略)

平成二年十二月一日建立
高知県文化財保護事業
佐川町教育委員会


斗賀野城址 (二ノ部城址)(佐川町西組)

米森氏は彦右衛門年為から四代に渡って斗賀野を納め、米森玄蕃元高の時代に、周辺の豪族たちが長宗我部に無条件降伏する中、たった一人長宗我部元親に反抗して戦ったけんど戦死したそうながです。

周囲は田園に囲まれた、高さが20~30m程の小山で、詰段にゃ城八幡が鎮座しちょります。

斗賀野城址 (二ノ部城址)(佐川町西組)

西側から見た、斗賀野城址 (二ノ部城址)

蓮池城主大平氏累代の墓所 - 土佐一条氏によって土佐大平氏は滅ぶ 2015.11.27
蓮池城 - 蓮池氏から長宗我部氏まで約430年幾多もの興亡を繰り返す 2016.10.23



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立石の伝説 - 津野元実が戸波城奪回の際の恵良沼の戦いの伝説

立石の伝説((土佐市本村)

[ 高知県土佐市本村 ]


此処は、以前にも御紹介しちょります戸波城跡の西側。

土佐市岩戸の方から戸波の方に県道267号線を走って来ると、戸波城跡の南から道は大きく北に迂回しちょりますが、 バス停「ひびの木」の約150m先の右側歩道脇に(気を付けちょらんと見逃すかも・・・・・)、この「立石の伝説」と書かれた説明板と2つの大きな石が並んじょります。

戸波城跡 - 一条氏家臣・福井玄蕃が城代 2016.03.02

ステンレスの説明板は掘りが浅く文字も不鮮明で、判読不能の部分もありますが、何とか下記のように読めました。

立石の伝説((土佐市本村)

立石の由来

昔本村に立石と云う力士兄弟あり。
各大石を担ぎ来る。
兄○○○○○まして立てんと○弛みて力及ばず。
弟は立てて○○○○する。
これが立石として世に知らる。

立てるは弟。
臥さるは兄のものとして、ともに伝えられる。

津野山城主津野元実大軍を率いて井場城主福井玄番を攻む。
永正十四年四月十三日早昧霧深く立ちこめ、路傍に大入道立てり、元実変怪なりと馬上より打○ろす刃一閃見事真二つよと見る間に鋰然太刀欠げ大入道はいつしか姿を失いて大石と化す。
頂上に欠所あるはこの時の太刀傷と云い伝う。
津野勢恵良沼に破れ、立石の伝説は残る。

明治四十三年郡道開通の際埋もれたるを大正九年七月十一日地元有志により掘出して「名石埋没の情けを惜みてこれを証す」と標柱を立て復元す。(以上は戸波村史による)

この地域は昭和五十九年度嵩上に基盤整備整備事業施工により立石の字名として残り、更に昭和六十二年県道拡張工に当り各方面の協力を得て八月此の地に移し、その姿を整へこれを永く後世に伝えるものなり。


昔、此処本村に立石と云う力士の兄弟がおって、此処に2つの大石を抱えて持って来たと。
弟は大石(左)を立てたけんど、兄の方は力が及ばなかったのか立てる事が出来ず横になったとままじゃと言う。

その後の事じゃけんど、永正14年(1517)に、津野元実が一条氏に奪われちょった戸波城を奪回しようと一条氏の城代・福井玄番を攻めた時の事じゃけんど、朝霧の中にあったこの大石が大入道に見えた。
津野元実は「変怪なり」と馬上より太刀で斬りつけたけんど、変怪じゃと思った大入道の姿は消え、其処に在ったのは太刀傷の残った大石じゃった。

戦いは、戸波城の西北に広がっちょった天然の要害じゃった底なし沼・恵良沼(かまちの沼)に追い込まれて津野軍は全滅し、この立石の伝説だけが残った。

と言うようなお話ながです。

佐川越中守 - 戸波城恵良沼の戦いで主家・津野元実らと討ち死に 2016.09.05
松ヶ瀬古戦場 - 津野軍・中平元忠と一條氏の安並・出間軍の激戦地 2015.06.08
中平兵庫助元忠 - 土佐七守護・津野氏の分家で土佐・中平氏の始祖 2014.11.17

今は、周囲は田畑になって当時の面影は部分的にしか残っちょりませんが、戸波城の要害じゃった底なし沼・恵良沼(かまちの沼)は、写真の大石のある背後の戸波城の手前(西側)から、写真左の方(戸波城の北)にかけて広がっちょたようです。

底なし沼・恵良沼(かまちの沼)の詳細は、また後日に・・・・・。


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地蔵菩薩 - 天文4年宝永地震溺死者の三十三回忌に建てる

地蔵菩薩(須崎市)

[ 高知県須崎市青木町 ]


此処は、前々回に御紹介した、須崎市の津野神社(孝山寺跡)ナガですが、神社入口の鳥居脇右側に写真のような、こんまい(ちいさな)祠があり、中にお地蔵さんがお祀りされちょります。

お堂の柱にゃ、下記のように書かれちょります。

(向かって右側) 宝永四年(1707)十月四日の大変の溺死者
(向かって左側) 三十三回忌追福天文四年(1739)建立


つまり、宝永四年(1707)十月四日の大変とは「宝永の大地震」の事で、この時の死者は約四百人じゃったそうです。

このお地蔵さんは、亡くなった人々の三十三回忌に建立されたもので、今は、お盆などに発生寺の和尚さんが拝みに来られちょります。

因みに、150回忌の改葬の際に建てられたのが、糺の大善寺にある、史跡にもなっちょります「寶永津浪溺死之塚」ながです。

寳永津浪溺死之塚 - 碑文は古屋竹原、願主は発生寺住職・智隆和尚 2015.07.28


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