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南国土佐へ来てみいや

南国土佐・高知の魅力と見所を歴史や史跡等の観光地を含めて御紹介

神峯神社の燈明巌 - 巌が光ると数々の困難や異変が起ると伝わる

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[ 高知県安芸郡安田町唐浜 ]この燈明巌は、四国八十八箇所27番札所・神峯寺から更に上に鎮座しちょります、奥の院になる神峯神社まで登って行かんと見れません。 神峯神社 - 四国八十八箇所27番札所・神峯寺の奥の院 2019-03-06 神峯寺 - 四国霊場第二十七番札所 2015-08-28 燈明巌・・・燈明巌と呼ぶ巨岩がある。太古から夜半になるとこの岩が青白く輝き光を放っていたのでこの名が起こったといわれる。また数々の困難や異...

谷 正方 - 吉田東洋暗殺刺客第二班の一人で大石弥太郎の弟

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[ 高知県香南市野市町中ノ村 ]通称は作七という。天保2年(1831)に、香美郡野市村横井(現・香南市)の郷士・大石平右衛門元介の二男に生まれちょります。兄は、土佐勤王党結成に尽力し、盟約書の起草を手掛ける等、幹部として活躍した、大石 弥太郎(弥太郎は通称で、諱は初め元敬、のち圓)ながです。 大石弥太郎生家跡 - 土佐勤王党に2番目に加盟 2011-06-16 大石弥太郎 - 武市瑞山らの赦免を同志と共に藩庁に歎願するも叶...

岡村十兵衛住居跡 - 飢餓に苦しむ浦人達を救い死をもって責めを負った義人

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[ 高知県高知市布志田 ]参勤交代・北山道沿いの山側の道路端に、「岡村十兵衛先生住居跡」の説明版が建てられちょります。藩の米蔵を許可なく開き、飢餓に苦しむ浦人達を救い、罪に問われ謹慎処分となり、浦人達に累が及ぶことを恐れ自害して果てた岡村十兵衛の住居跡とか・・・・・。..十兵衛は通称で、名は輔之(すけゆき)。 岡村十兵衛先生住居跡岡村十兵衛の先祖は、戦乱の京を逃れて土佐に下向した一条教房の従者として土...

田辺島神社(隼人神社) - マムシ(ハミ)も恐れる福留飛騨と隼人を祀る

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[ 高知県高知市大津 ]前回の記事の鹿児神社から北西に約1Km、岡豊城址からじゃと南西に約4.2Kmの、国分川の左岸の川岸傍に標高が約10m弱の小山があるがですが、通称・田部島と呼んじょります。陸の上にあるのに「島」と付いちゅうがは、昔はこの辺りまで浦戸湾が広がっちょり、この田辺島も浦戸湾に浮かぶ島の一つじゃったがです。 この小山には田辺島神社(隼人神社)が鎮座しちょりますが、元は田部島城址で築城年代は定かじゃ...

鹿児神社 - 紀貫之が都に帰る際に船出した舟戸に近く住之江三神を祀る

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[ 高知県高知市大津 ]土佐電鉄後免線の田部島通駅から線路に沿いに土佐中道路(国道195号)を東に約180m行った、国道と後免線線路を南に渡った場所にある鹿児山に鎮座しちょります。土佐には珍しい、社殿が北を向いちょる神社ながです。 昔は、この近くまで浦戸湾の入江が広がっちょり、船着場があったようで、紀貫之も都に帰る時は、この近くかの舟戸から船出しちょります。 紀貫之舟出の地碑 - 土佐で亡くした娘の死を悲し...

桑名古庵 - 桑名丹後守・五百蔵筑後守を先祖に持つ・ころびキリシタン

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[ 高知県高知市西久万 ]慶長17年(1612)及び翌慶長18年(1613)徳川幕府は、キリスト教を邪宗として禁止令(キリシタン禁制、禁令)を発令し、以後、キリスト教徒は弾圧・迫害を受ける。幕府は、切支丹信徒に対し強制改宗策を取り、様々な拷問を考案・実行し、拷問に耐えかね棄教した者も多いが、殉教した者も多かった。拷問の一つに、京都所司代・板倉氏が考案したとされる「俵責め」がある。首だけ出した状態で、切支丹信徒を俵に...

朝峯神社 - 延喜式社・土佐之國二十一座の一社で御祭神は木之花咲耶姫

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[ 高知県高知市介良 ]朝峯神社は、高知市介良の介良富士(鉢伏山)の麓に鎮座しちょります。介良川に架かる赤い橋を渡り、朝峯神社の参道を進むと、「式内 朝峯神社」」と刻まれた社号碑があり、石段を上ると拝殿があるがです。 主祭神: 木之花咲耶姫命 (このはなさくやひめ)相殿神: 爾爾伎之命 (ににぎのみこと) - 木之花咲耶姫命の夫神      大山祇命 (おおやまつみのみこと) - 木之花咲耶姫命の父神神紋は、...

布志田御殿跡 - 参勤交代・北山越えルートの藩主の本陣跡

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[ 高知県高知市布志田 ]参勤交代制度は徳川幕府第3代将軍・徳川家光の時代の寛永12年(1635)に武家諸法度が出され制度化されたもので、土佐藩じゃと1500~2700人程の行列で、約30日程かかったとの記録があるようです。当初は浦戸からの海路じゃった様ですが、其の後は、陸路で東部の甲浦まで行き、そこから海路を使ったようです。ただ、如何せん天候に左右され、海が荒れ遭難する事も多々あったという。享保3年(1718)、第6代藩主...

幻の元号『天晴』 - 慶応3年の土佐にだけ残っちゅう私年号

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[ 高知県高知市春野・高知県安芸郡安田町 ]今日は、新天皇が即位され、元号が改元された初日、令和元年5月1日。新しい令和の時代の幕開けながです。ってな訳で、ちっくと、元号に関するお話を・・・・・。政府が、平成31年(2019)4月1日に新元号を発表すると報じてから、ネット検索してみると高知でも新聞や個人のブログ等でも、既に土佐の幻の元号が取り上げられちょりましたき、ご存知の方が多いかと思いますが、オンちゃんなり...

西島観音堂 - 土佐西国三十三観音霊場第9番

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[ 高知県南国市廿枝下掘 ]国分寺の南を流れる国分川の南の田園の中に、然程大きゅうもない鎮守の森があり、第九番・西島観音堂が建立されちょります。 西島観音堂の由来当観音堂は 土佐西国三十三ヶ所霊場の九番目に当たり 聖観音を祀られる抑々 この霊場は 約三百年前 土佐四代藩主山内豊昌公の母堂善光院のご慈悲により 人々の幸福を願わる御心から 霊験あらたかな西国三十三ヶ所霊場のみ霊をお迎えして 各地に観音堂を建立し...

郡境碑 - 長岡郡と土佐郡の郡境の碑2基

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[ 高知県高知市布師田・南国市岡豊町中島 ]以前、吾川郡と高岡郡の郡境碑を御紹介しましたけんど、今回は土佐郡と長岡郡の郡境碑を2基御紹介します。 郡境の碑 - 「従是東吾川郡」「従是西高岡郡」 2008-10-30 1基目は、現・高知市布師田と南国市岡豊町中島の境になる、南国市側に建っちょり、「是東長岡郡」・「是西土佐郡」とある。因みに、正面の山は布師田金山城址ながです。 布師田金山城 - 長宗我部に降った後は久武内蔵...

南学発祥地碑 - 昭和6年に建てられたもう一つの南学発祥地碑

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[ 高知県高知市春野町弘岡中 ]南学発祥地碑と言えば、上の写真の昭和35年に建てられちゅう記念碑がある場所が、「南学発祥地」として一般には知られちょりますが、実はもう一つ、これよりも古い碑があったがです。 南学発祥の地 2009-10-10  見つけた切っ掛けは、高知におった時、新旧の地図を見よって何かありそうやと思うて散策に行って、何度か目で見つけた碑ながです。 小高い丘の上に祠がありその前に碑が建っちょり、そ...

リョーマの休日像 - 受け狙いか?、客寄せパンダか?龍馬さんも辛いねー

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[ 高知県南国市大埇乙 ]南国市の、とある道路を走りよったら、龍馬さんが肩肘付いて寝そべっちゅうやいか。「龍馬さん、こんな所で如何いしたがぜよ。」と聞くと「わしぁー、疲れたぜよ。龍馬、龍馬ゆうて、方々で扱き使われて休む暇もないがよ。まっこと、たまらんぜよ。そんで、ちっくと抜け出て来て、此処で息抜きをしよらーよ。」と言っているような・・・・・。南国市の、某レストランの敷地内に設置されちょります。...

小篭土居 - 長宗我部初代・能俊の三男・宗貞が分家して江村氏を称す

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[ 高知県南国市岡豊町小篭字西土居 ]上の写真は、熊野神社の北東から見た、小篭土居と思われる周辺。長宗我部氏の始祖・秦能俊が信濃から土佐国長岡郡宗部郷の地頭となり長宗我部氏を称する。その 三男・宗貞が分家して江村氏を称したとも、又・江村氏の養子になったとも伝わるが詳細は不明ながです。熊野神社の北側、東西100m・南北100m部程の平地が、小篭土居(江村土居)と推定されちょりますが、遺構などはその後の開墾等で...

へんろ標柱 - 禅師峰寺駐車場周辺に置かれている幾つかの標柱

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[ 高知県南国市十市 ]今回は、第32番札所・禅師峰寺の駐車場周辺に集めて置かれちゅう遍路標柱を、幾つか(実際には、まだ他にもありますが)ご紹介しちょきます。 最初の写真が、上記写真右側の標柱じゃけんど、矢印の標柱とは元は同じ標柱の様です。如何やら二つに折れ、ちょと離れて置かれちゅうようながですが、続けて読むと下記の様に刻まれちょります。三十二番 京都 森藤興三郎 田中亀吉 大正三年三月 濱改田村 岩坂...

戸波積善寺 3 - 蓮池城主大平権頭国興主従の墓所

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[ 高知県土佐市積善寺 ]戸波積善寺 1で、ちょこっと触れた大平権藤国興に関わる第3弾。戸波積善寺(薬師寺)の直ぐ南側に、蓮池城主・大平権頭国興主従の墓所があるがです。『土佐史蹟巡遊』の続きには、薬師堂より南数十歩に大平権頭の墓がある。永禄九年丙寅閏六月 長宗我部氏に迫られ 逃れて此處の寺に来り 遂に自殺す。時に十六であった。同時に殉死する者七人あり 就中 澁谷(渋谷)権丞勇敢にして敵を殺す 甚だ多く遂に戦...

戸波積善寺 2 - 『まんが日本昔ばなし』で放送された民話「お不動さま」は実話

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[ 高知県土佐市積善寺 ]前回の続きです。この戸波積善寺にゃ、こんなような民話が残っちょります。むかし、土佐の高岡に、お不動さんを祀る積善寺というお寺があった。ある日のこと、狩りに出かけた家老と家来は、帰り道休憩の為、この寺に立ち寄ったと。ところが、家老は不動堂のお不動さんを一目で気に入り、和尚さんに有無を言わせず強引に持ち帰り、屋敷門の脇に据えた。その夜、家老が酒を飲みよったら、急に雷鳴が轟き、嵐...

戸波積善寺 1 - 大平権藤国興と長宗我部元親に所縁の地

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[ 高知県土佐市積善寺 ]この戸波積善寺を探したがは2016年の事ながですが、『春野町史』の中に、谷秦山の『土佐遺語』に大平氏の事を「古老伝えて云う。(中略)永禄九年丙権頭某 秦氏(幡多・一条氏の間違い)に敗るる所となり、戸波積善寺に自殺する。」 との記述があるとの一文を見て、探して見ることにしたがです。所が、色々調べてみたけんど土佐市戸波積善寺の地域は分かったがですが、肝心の「戸波積善寺」と言う寺社が何...

石谷土居 - 石谷兵部少輔の義理の妹は長宗我部元親の正室、娘は信親正室

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[ 高知県南国市岡豊町小蓮 ]周辺は宅地や畑になっちょりますが、石谷頼辰の土居があった場所辺りになるがです。父は斎藤道三・義龍(よしたつ)父子2代に仕えた斎藤利賢で、その長男に生まれ斎藤孫九郎と言い、弟は斎藤利三になるがです。因みに、斎藤利三の末娘・福は後の春日局になる。 春日局 - 幼少期難を逃れ長宗我部元親の許に身寄せたと云う伝承在り 2016-04-22 石谷頼辰の実母が再婚した相手が石谷光政(空然)で、その...

神峯神社 - 四国八十八箇所27番札所・神峯寺の奥の院

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[ 高知県安芸郡安田町唐浜 ]四国八十八箇所27番札所・神峯寺は、神峯山(標高約566m)の標高425m付近にあるがですが、大師堂脇から更に上った標高約495m付近に遷座しちょります。神峯寺 - 四国霊場第二十七番札所 2015-08-28 27番札所・神峯寺へは、歩き遍路も「真っ縦」と呼ばれる難所があるけんど、車道もつづら折の狭い急勾配の難所があるがです。其の為、大型バスの団体のお遍路さん達は、麓でマイクロバスに乗り換えての...

遍路標柱 - 中務茂兵衛 「壱百八十五度目」の添句標石

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[ 高知県高知市五台山坂本 ]高知市五台山の第31番札所・五台山竹林寺から坂本道を降り下った、下田川傍の五台山小学校の南東角に建っちょります。此処の、標柱は鉄枠で補強されちょります。【道標正面】峰寺 為中井氏先祖代々菩提【道標左面】五臺山 京都三條通東洞院西へ入 施主 中井三郎兵衛明治三十四年十二月吉辰  【道標裏面】高知 壱百八十五度目為供養 周防国大島郡椋野村住發願人 中司茂兵衛義教 【道標右面】明...

高麗神社 - 長宗我部元親の甥・香宗我部親氏を祀る

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[ 高知県香南市野市町東野 ]『野市の史跡』(昭和59年)の日吉(ひえ)神社の項に、たった一行だけの記述じゃけんど「香宗我部親氏を祀った高麗(たかよし)神社の小祠が在る。」とあり、日吉神社の境内社のようで探してみたがです。上の写真の日吉神社は、香南市野市町東野にあり、土佐くろしお鉄道の東側の富岡山に鎮座しちょります。 因みに日吉神社の御祭神は、大山咋神荒魂で、猿が神さんのお使いながですき、滋賀県大津市...

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