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南国土佐へ来てみいや

南国土佐・高知の魅力と見所を歴史や史跡等の観光地を含めて御紹介

公儀の井戸 - 野中兼山が水の乏しかった山田台地に掘った井戸

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[ 高知県香美市土佐山田町 ]井戸は2ヶ所あり、1ヶ所目は(写真は無いけんど)土佐山田駅前から南に1つ目の交差点にあり、現在は大きなマンホールで蓋をされちょります。2ヶ所目は、十字路から東に約250mほどの処にある土佐山田郵便局の近くの写真の井戸ながです。正保~万治年間(1644-1660)に、土佐藩家老・野中兼山が山田町を作ったけんど、なかなか住民が定着せんかった。原因は、台地じゃったため、用水が乏しく「水」が無か...

影山の地蔵寺 - 土佐七福神霊場・寿老人を祀る

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[ 高知県香美市土佐山田町影山 ]県道22号龍河洞公園線のバス停・龍河洞温泉から約0.65Km上った道路傍に、地蔵堂はあります。高野山真言宗派の照影山 宇田寺で、通称・ 影山の地蔵寺と言うそうで、此処が土佐七福神の寿老人を祀る霊場になっちょります。地蔵寺の南にある標高223mの大峰山は、奈良県吉野郡天川村にある修験道の寺院・大峯山寺を勧請しちょるようで、此処も頂上付近に金剛蔵王権現を祀っちょるようですので、修験道...

池知重利頌徳記念碑 - 撰は土方久元・書は田中光顕

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[ 高知県南国市上末松 ]池知重利とは、土佐勤王党血盟同志の一人、池知退蔵の事ながです。生家の近くに、頌徳記念碑が建てられちょります。撰文は土方久元(土方楠左衛門)、題字は田中光顕(浜田辰弥)。 池知退蔵 - 土佐勤王党に178番目に加盟 2017-07-23 田中光顕墓 - 中岡慎太郎亡き後の陸援隊を率いた一人 2010-11-24 土方久元邸跡 - 土佐勤王党に21番目に血盟 2013-09-09 MapFan地図へ ...

春野神社 - 山田堰を築いた野中兼山を祭る神社

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[ 高知県香美市土佐山田町小田島 ]春野神社山田堰を築いた野中兼山を祭る神社である。文化3年(1806)に現・高知市春野町森山の春野神社の分霊を、堰をみおろすこの地に移し祭った。社殿右側の石は、山田堰が明治24年(1891)7月に災害をうけ復旧に際し、「水門と水越し」の高さ基準点として設けられたものである。昭和62年3月土佐山田町教育委員会【 参考・引用 】  説明板より 「野中兼山」に感謝して - 春野神社 2009-09-25...

琴ヶ浜松原 - 野中兼山によって砂丘に植林し護られた松林

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[ 高知県安芸郡芸西村 ]琴ヶ浜松原は、東は安芸市赤野川河口から西は夜須と芸西村の境に近い辺りまでの、東西約4Km程の海岸と松林が続いちょります。因みに、写真は東端の安芸市赤野の自転車道休憩場辺りから撮影しちょります。日本の白砂青松100選琴ヶ浜の松原 (由来)かって、太平洋の海水と和食川とが対面して約1キロにわたる自然の砂丘を形成させた。この砂丘全体にわたって松の老木や若木が数多くあり、高知市以東では最...

弘光明之助利条 - 土佐勤王党に173番目に加盟

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[ 高知県南国市前浜) ]墓石の周辺は、雑草に覆われ、イヌザンショウの仲間じゃろうか棘のある細長い枝に阻まれ、傍まで近寄る事が出来んかったけんど、弘光清水墓と刻まれちょります。清水は後年名乗った名で、元の名は明之助として土佐勤王党にゃ173番目に血盟同志になっちょります。村田忠三郎の兄・村田馬太郎(帰本)と国暇の許可を得ないまま、京都・摂津・九州の情勢を探索して追込の刑(刑罰の一つで、一定の部屋に閉じ...

仁井田五社神社 - 佐川の勤王五士、勤王の大願成就の祈願をして脱藩

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[ 高知県越知町横畠東・堂ノ岡 ]以前ご紹介しました浅尾沈下橋の近くの、県道18号・伊野仁淀線の仁淀川に架かる鎌井田大橋を越知町方面に約2Kmほど行ったバス停「堂ノ岡」の近くに、仁井田五社神社が鎮座しちょります。 浅尾沈下橋 - 仁淀川河口から三番目に架かる沈下橋 2018-09-01 由緒は不明じゃけんど、神社名からして現・四万十町にある高岡神社(別名・仁井田五社)を勧請したがじゃと思いますき、御祭神は高岡神社と同じ...

国指定史跡・谷重遠墓 - 土佐南学を再興し日本の「尊厳」を教えた

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[ 高知県香美市土佐山田町 ]谷重遠は、寛永3年(1663)長岡郡岡豊村の岡豊八幡宮(現・南国市)の神主・谷神兵衛重元、島崎氏の3男に生まれ、通称・丹三郎、名は重遠で、秦山は号ながです。谷家は代々岡豊八幡宮の神職を務めちょりますが、野中兼山によって郷士に起用されちょります。幼少より聴明じゃったそうで、17歳の時上京し、野中兼山らと親交のあった山崎闇斎や、その高弟・浅見絅斎に朱子学・神道・儒学を学んだ。また、同...

野中神社(お婉堂) - お婉さんが父・野中兼山や一族、旧臣の霊を祀る

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[ 高知県香美市土佐山田町中組 ]父・野中兼山や一族、旧臣の霊を祀った野中神社で、娘のお婉さんが建てた事からお婉堂とも呼ばれちょります。お婉さんは、この神社の建立にあたり先祖伝来の物を人手に渡したり、貴重な品は谷泰山が江戸に行く時、江戸で売りさばいてもらったりして工面し、宝永5年(1708)須江の旧臣古槇家の土地(現在地)を譲り受け小さなお堂を建てたがです。野中神社(お婉堂)土佐藩家老野中兼山の死後、野中...

香宗我部秀通 - 香宗我部家養子問題で兄・親秀と爭い自刃

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[ 高知県香南市野市町東野 ]永正7年(1510)に土佐国香美郡東南部の国人・香宗我部通長の次男として生まれる。兄は香宗我部右衛門尉親秀。大永6年(1526)、兄・親秀の嫡男である秀義が安芸氏との合戦で戦死したため、親秀の養子に迎えられて家督を継いだが、香宗我部氏は次第に衰退していき、親秀は自家の再興を図るために長宗我部国親の三男・親泰(長宗我部元親の弟)を養子に迎えて長宗我部と香宗我部の連合体制を作り上げよ...

善福寺 - 土佐七福神霊場・福禄寿を祀る旧札所

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[ 高知県土佐市本村 ]高知道・土佐PAの北側を国道56号が走っちょりますが、そこから西に1.2Km程の処の道路左側に「カロト生花エビネ寒蘭店」があるがですが、善福寺はその道路反対側にあるがです。善福寺は、土佐七福神霊場の福禄寿を祀る旧札所じゃったがです。福禄寿は「幸福」の福、「身分」を表す禄、「寿命」を表わす寿の三文字からなり、長寿の神さんで、阿弥陀堂に安置されちゅう御本尊の阿弥陀さんの左脇に安置されちょ...

土佐十景・手結の碑 - 野中兼山の掘った手結内港銚子口先端に建つ

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[ 高知県香南市夜須町手結 ]土佐十景・手結の碑は、 承応2年(1653)に土佐藩家老・野中兼山が完成させた、わが国初の「堀り込み港」 手結内港の出口南の銚子口の先端に建てられちょります。手結港可動橋がある南側の一段下がった外側にありますき、車からはちっくと判らんかと・・・・・。昭和3年(1928)に建てられた碑の裏にゃ、下記の様に刻まれちょります。短歌 濱田春恵作地名 前田俊泰書篆額 和歌 脇字 田内道太郎書 土...

徳弘土居城 - 城主・徳弘三郎左衛門は菅原道真の家系の一族

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[ 高知県南国市立田 ]土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線の立田駅の直ぐ北側に、人工的に盛土されたような塁状地形があり、その上に祠がお祀りされちょりますが、ここが徳弘土居城の城八幡ながです。『南路志』にゃ、「城主・徳弘氏は菅原道真の左遷に連座して延喜年間(901-923)に立田庄に来て、戦国時代にゃ楠目城城主・山田氏に仕え、山田氏滅亡後は長宗我部氏に仕えた」とある。また、『高知県南国市中世城館跡』にゃ徳弘氏は...

大平弾正光圀 - 元弘の乱で土佐に配流された尊良親王を守護

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[ 高知県高岡郡佐川町本郷耕 ]大平弾正光圀は、土佐南朝方の武将で、第4代・蓮池城主・大平敏国の弟になる。元弘の乱で、鎌倉幕府に敗れた父・後醍醐天皇は隠岐の島に配流され、第一皇子・尊良親王は土佐国幡多に配流されたとき、有井庄司らと親王を守護し尽くす。蓮池城 - 蓮池氏から長宗我部氏まで約430年幾多もの興亡を繰り返す佐川町・刊の『わが町の文化財と旧跡』にゃ下記の様に記されちょります。大平弾正光圀は、鎌倉か...

会津若松・自在寺「西軍 戦死者墓」 - 土佐藩所縁の2名が眠る  

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[ 福島県会津若松市相生町 ]会津若松の自在寺にある、「西軍 戦死者墓」と刻まれた墓に、如何やら土佐藩所縁の2名が眠っちょります。『志士は今も生きている その墓所をたずねて』によると、土佐藩の墳墓簿には会津若松の自在院に土佐藩2名の二人墓の記載があるけんど、その後の墓地の大整理等によって見つけることが出来んかったと記載されちょります。墳墓簿には土佐夫卒二人墓慶応四戊辰八月二十三日 忠兵衛打入ノ節戦死慶...

大徳寺 - 「四国三十三観音霊場」・「土佐七福神霊場」の一つ

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[ 高知県南国市大そね ]南国市大埇の吾岡山の南東の麓にある、真言宗高野山派の吾岡山延寿院大徳寺。御本尊は波切り不動。剣は悪事を断ち切り縄は煩悩を縛り覚りをひらき火炎は世間の闇を照らし迷いや災難を焼き尽くす種々の煩悩を焼き尽くし悪魔を降伏し行者を擁護して菩提を得させる明王として信仰された 境内にある聖観音さんは四国ぼけ封じ三十三観音霊場の12番ながで、高知にゃ四国ぼけ封じ三十三観音霊場は6ヶ所あり、高知...

田野八幡宮と丈六の仏頭

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[ 高知県安芸郡田野町 ]田野町の総鎭守として鎮座しちょります、田野八幡宮。写真の参道の先に赤丸で囲んじょります石段は、以前に御紹介しちょります国指定重要文化財にも指定されちゅう「旧魚梁瀬森林鉄道遺構」の一部になる、田野線の八幡山跨線橋ながです。ようは、参道の一部が森林鉄道の高架橋になっちょった部分ながです。 八幡山跨線橋 - 国指定重要文化財・旧魚梁瀬森林鉄道遺構の一つ 2016-05-17 田野八幡宮祭神は応...

閼伽井水 - 四国八十八箇所霊場・第35番札所清瀧寺・奥の院

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[ 高知県土佐市高岡町丁 ]場所は、四国八十八箇所霊場・第35番札所清瀧寺の更に上になるがですが、高岳親王塔のある不入山を左に見て寺の裏手へ廻り、狭い道を林道を登って行った所に、この「閼伽井の泉(あかいのいずみ)」があるがです。 高岳親王塚 - 平城天皇の第3皇子で出家し空海の十大弟子の1人に 2018-08-26 閼伽井の泉の由来 この泉は、延暦十二年(792)室戸岬で修業し、伊予国へ向かう途中、この地に立ちよった弘法大...

円行寺の薬師堂 - 朝倉神社に関わる怪異が本山氏の衰退に繋がる

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[ 高知県高知市円行寺 ]高知市円行寺の集落の奥に、日吉神社の鎮守の森があるがですが、元は医王山秘蔵院円行寺と言う真言宗の大寺で、御本尊は薬師如来(現・県文化財)と言う、奈良時代に行基が開基したとも伝わる由緒ある寺院じゃったそうです。長宗我部氏の興亡を記した軍記『土佐物語』にも、「七八町に作り並べたる寺堂・廻廊・鐘楼・経蔵・仁王門・工人妙を盡し(これ以上もない細工を施し)の丹青(赤・青の彩色)を飾り...

花熊城址 - 横山友隆は大坂夏の陣で長宗我部盛親に従い討死

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[ 高知県高知市介良 ]花熊城址は以前にもご紹介しちょりますが、その折りは城八幡まで上る道が判らず諦めたがですが、その後、改めて散策に行った折り、ようやく上口を見つけ、城八幡にまで至ったがです。 花熊城址 - 城主・横山友隆は長宗我部国親に敗れ長宗我部に仕える 2015-02-02 花熊城は、別名・横山城・介良城とも称されちょりまして、これも以前ご紹介した朝峯神社の背後にある介良富士から西に尾根が続いちょりますが...

大善寺 - 二ッ石大師遺蹟 別格二十霊場・第五番 高野山大善寺

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[ 高知県須崎市西町 ]須崎じゃ、西町のお大師さんと云われちょります入口脇にゃ二ッ石大師遺蹟 別格第五番霊場 高野山大善寺とあり、石段を数段上ると大師堂があり、その左手から石段を70-80段程登って行くと第五番札所の大善寺があり、上からは須崎湾が一望出来るがです。 四国の空海(弘法大師)の足跡は、四国八十八箇所以外にも沢山あり、番外霊場(後述)として信仰を集めてきたが、それらの番外霊場のうち20ヶ所の寺院が集...

大川上美良布神社 - 延喜式社・土佐之國二十一座の一社で御祭神は大田々称古命

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[ 高知県香美市香北町韮生野 ]場所は、一番判りやすく言うと、香美市香北町にある「アンパンマン・ミュージアム」の北側約250 mの位置に遷座しちょります。 『続日本記』承和八年(841)八月四日の条に記載されちょるのが最古で、『延喜式神名帳』に大川上美良布神社とあり、土佐国香美郡四座並小の一座として記載され、韮生郷50ヶ村の総鎮守である。古くは「川上大明神」「大河上宮」とも呼ばれており、『長宗我部地検帳』にも...

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