南国土佐へ来てみいや

南国土佐・高知の魅力と見所を歴史や史跡等の観光地を含めて御紹介

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韮ヶ峠 - 文久2年(1862)3月坂本龍馬此処より土佐を出藩   

韮ヶ峠(檮原町)

[ 高知県高岡郡檮原町 ]


文久2年(1862)3月、坂本龍馬が土佐を出藩した際に通ったと云う韮ヶ峠(にらがとうげ)は、須崎から標高約400m程の場所に在る梼原迄バスで行き、其処から四万川の上流部になる標高960mまで標高差約560m程を、えっちらおっちら登り詰めた高知県高岡郡檮原町と愛媛県西予市の市町境に位置しちょります。

檮原町の維新の門群像 ―(徒歩40分:4km)→宮野々番所跡―(徒歩2時間:8.5km)→茶や⾕の茶堂―(徒歩15分:0.5km)→松ヶ峠番所跡―(徒歩2時間10分:6km)→韮ヶ峠(愛媛県境)

【 参考・引用 】  坂本龍馬脱藩の道を歩いてみませんか!?/高知県梼原町


龍馬と一緒に出藩した沢村惣之丞が記した『覚 関雄之助口供之事』よると、文久2年(1862年)3月26日、龍馬は四万川から韮ヶ峠を経て伊予・大洲の方に出たとされちょります。

韮ヶ峠(檮原町)



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下元西州先生退筆塚 - 死後13年目に下元西州の門人たちが建てる

下元先生退筆塚(須崎市)

[ 高知県須崎市西町 ]


この下元先生退筆塚ちゅうがは、須崎市の四国別格二十霊場第5番札所・大善寺の大師堂の脇に建てられちょります。

下元西州塾跡 - 武市瑞山の叔父・鹿持雅澄も門人の一人じゃったと 2014.10.27

下元先生退筆塚(須崎市)

この石碑は下元西州の死後13年目の天保14年(1843)に、下元西州の門人じゃった人々によって建てたもので、廃筆を埋めた上にこの石碑が建てられちょるそうです。

先生之書 白唐溯晋 特慕右軍 技与道進
玩字読文 贈言有訓 勝遊有記 政令有論
於戯先生 徳芸兼并 宣哉遠近 化及教成
筆或雖朽 不朽者名 聞名懐実 吾斯作銘
天保十四年九月 浪華篠崎弼撰書


撰文は大阪の書家・篠崎小竹と刻まれちょります。

篠崎小竹

天明元年(1781年) 、豊後国の医師・加藤周貞の次男として大坂に生まれる。

9歳で篠崎三島の私塾梅花社に入門し、古文辞学を受ける。
三島に後継ぎがなく13歳の時に望まれて養子となる。
しかし、江戸幕府による寛政の改革が進む中、頼山陽に感化されると養家を抜け出し、江戸に遊学。尾藤二洲に学び古賀精里の門をくぐって朱子学者に転向する。
その後、養父・三島に詫びて和解がなり、梅花社を継いでいる。三島にも勝って塾は栄え、多くの門弟を育てた。

詩・書に優れ、書籍を刊行しようとする者のほとんどが小竹に序・題・跋などの文章を求めるほど人気があった。
篆刻も得意とし稲毛屋山の『江霞印影』にその印が掲載されている。
温厚で社交好きな性格だったこともあり、関西学芸界の名士となった。
頼山陽とは、養父・三島が菅茶山と悶着のあった春水の長子・山陽を預かることとなり、小竹はすぐさま山陽の才能を見抜き、茶山との間柄を取り持ち常に山陽を擁護した。
その友情は山陽の死後も続き、遺児の面倒までみている。
また、大塩平八郎とも養父・三島に初読を習った弟子である関係で交流があったが、平八郎は陽明学者で朱子学者とは犬猿の仲であり、兄弟子である小竹とも学説上の対立があった。

嘉永4年([1851年)、死去。享年72。

【 参考・引用 】  篠崎小竹 - Wikipedia



下元先生退筆塚(須崎市)

右が下元西州の筆塚で、左側は明治6年に建てられた下元西州の養子になった下元州浦の退筆塚ながです。


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釣船神社 - 御祭神はキスゴ様と呼ばれ熱切りの神様として信仰

釣船神社(高知市)

[  高知県高知市はりまや町3丁目 ]


高知城の北を流れる江ノ口川の畔に、元は高知城内の城八幡じゃった高知八幡宮があり、城下の鎮守神として鎮座しちり、その境内社の一つに、釣船神社がありキスゴ様と呼ばれちょります。

高知八幡宮 - 元は高知城の城八幡 2011.08.15

キスゴって何?って御思いの方もいるかも・・・・・。

魚のキス・シロギスの事じゃと云うたらお分かりかと思いますが、関西から西の地方じゃキスゴと呼ぶ所が多い魚ながです。

釣船神社(高知市)

釣船神社拝殿内は、本殿が三つに分かれちょります。

左本殿は、磐長姫神社、大山祗神社

右本殿は、鉾宮神社、青麻三光宮、八坂神社

そんで中央の本殿に、釣船神社、水神社、瑞宮子育神社が鎮座しちょります。

釣船神社(きすご様) 拝殿中央のお社

御祭神 釣船大神

御由緒

昔、御畳瀬浦の船が釣りをしていると、きすごの漁多く、その中に御神体が上り、釣船大神とお祭りした処、忽ち御神威を発揚され、古来熱病退散の霊験灼かであり、熱切りの神様と信仰せられています。

( 参考・引用 】  説明板より


釣船神社(高知市)

ですき、此処の絵馬はキスゴを描いちょります。

受験シーズンにゃ、熱切りと云う意味ではなく、風邪等引かないように万全の体調で試験に臨めるようにと、祈願に訪れる受験生が多いとか・・・・・。

釣船神社(高知市)



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